若宮 啓文(わかみや よしぶみ、1948年〈昭和23年〉1月16日[1] - 2016年〈平成28年〉4月28日)は、ジャーナリスト、コラムニスト。
朝日新聞論説主幹 (2002.9-2008.3)、主筆 (2011.5.1-2013.1.16)、東京大学・龍谷大学・慶應義塾大学・韓国の東西大学の客員教授[2]、ソウル大学校日本研究所客員研究員を歴任した。 麻布高等学校卒。東京大学法学部卒業後、朝日新聞社に入社。政治部記者として日本政治、日中韓関係、国際政治について数々の記事、コラム、著書を発表。東京大学、慶應義塾大学、龍谷大学でそれぞれ客員教授を務めた。父は、朝日新聞政治部記者から鳩山一郎首相秘書官に転じた若宮小太郎。『戦後70年 保守のアジア観』が、2015年(第36回)石橋湛山賞を受賞。
概要
経歴
1948年(昭和23年)1月16日、東京生まれ。
東京大学法学部卒業。在学中に東大安田講堂事件に遭遇。
1970年(昭和45年)4月、朝日新聞の記者となり横浜支局へ赴任。飛鳥田一雄市長による「ベトナム行き米軍戦車ストップ事件
1972年(昭和47年)9月、長野支局へ移り、1975年(昭和50年)1月1日に起きた青木湖スキーバス転落事故などを取材する。長野では部落解放同盟長野県連合会の協力を得て長野版に「ルメB現代の被差別部落」を長期連載し、のちに加筆して刊行された[3]。
1975年(昭和50年)5月に本社政治部へ移り、ロッキード事件前後の三木武夫政権、新自由クラブの結成や大平正芳政権での「四十日抗争」など昭和から平成にかけて激動の政治を報道した。また、全斗煥韓国大統領訪日、中曽根康弘首相の靖国神社公式参拝、宮澤喜一政権での天皇訪中をはじめ冷戦終結前後のさまざまな外交問題を取材。その後、論説委員、政治部長を歴任する。
1979年(昭和54年)8月に山下元利防衛庁長官の同行取材で訪韓し、翌1980年(昭和55年)9月には北朝鮮を訪れて金日成とも会ったことから、南北朝鮮に関心をもち、1981年(昭和56年)9月から1年間ソウルに留学して朝鮮語を学ぶ。
以降、1993年(平成5年)に発足した「日韓フォーラム