若乃花勝
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若乃花 勝


基礎情報
四股名若乃花 勝
本名花田 勝
愛称お兄ちゃん[1][2]・若・若様・若関(大相撲現役時)
生年月日 (1971-01-20) 1971年1月20日(50歳)
出身東京都杉並区
身長180cm
体重133kg(現役時) 105kg(現在)
BMI41.36
所属部屋藤島部屋二子山部屋
得意技おっつけ[1]、押し、左四つ、寄り
成績
現在の番付引退
最高位第66代横綱
生涯戦歴573勝286敗124休(73場所)
幕内戦歴487勝250敗124休(58場所)
優勝幕内最高優勝5回
十両優勝1回
三段目優勝1回
序ノ口優勝1回
殊勲賞3回
技能賞6回
データ
初土俵1988年3月場所[1]
入幕1990年9月場所[1]
引退2000年3月場所[1]
引退後タレント
アメリカンフットボール選手
実業家
備考
金星2個(旭富士2個)
2013年4月8日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲
国技館辺に展示されている三代目若乃花の手形

花田 虎上[注釈 1](はなだ まさる、1971年1月20日 - )は東京都杉並区出身の元力士で、第66代横綱・3代目若乃花である。二子山部屋(入門時は藤島部屋)に所属していた。日本相撲協会退職後は、タレントスポーツキャスター実業家、相撲評論家として活動している。目次

1 人物

2 来歴

2.1 入門

2.2 入幕

2.3 大関時代

2.4 横綱時代

2.5 引退後

2.5.1 相撲協会退職・その後の主な活動

2.5.2 実業家として



3 略歴

4 エピソード

4.1 相撲関連

4.2 相撲の専門家として

4.3 プライベート関連、その他

4.4 現役時代からの実弟・貴乃花との確執

4.4.1 確執の発生と経緯

4.4.2 日馬富士による暴行事件関連

4.4.3 貴乃花との和解企画関連



5 主な成績

5.1 通算成績

5.2 各段優勝

5.3 三賞・金賞

5.4 場所別成績

5.5 主な力士(横綱・大関)との幕内対戦成績


6 家系図

7 改名歴

8 年寄変遷

9 パチスロ

10 主なテレビ出演

10.1 テレビ番組

10.2 テレビドラマ

10.3 ウェブテレビ

10.4 CM


11 文献

11.1 著書

11.2 関連文献


12 脚注

12.1 注釈

12.2 出典


13 関連項目

14 外部リンク

人物

1971年1月20日に貴ノ花利彰の長男として生まれ、1982年以降は中野区で育った。現在は千葉県富津市在住[3]

母親は藤田紀子、弟は貴乃花光司、伯父は若乃花幹士。元妻は花田美恵子、2008年に一般人女性と再婚している。

人当たりのよい性格で話術にも長け、貴乃花光司の実兄であることから力士時代から「お兄ちゃん」の愛称で親しまれている。「若」と呼ばれる事もある。

車やバイク好き[4] としても知られ、ポルシェ911GT3、トヨタ・クラウンマジェスタダッジ・チャージャーなど約30台ほど乗り継いでいる。血液型はB型。
来歴

上背はなかったものの、鍛え上げられた強靭な筋肉と巧みな足さばきを生かして多彩な技を繰り出し、技能派の名人力士として知られた。また容姿や相撲の内容は実父・貴ノ花利彰よりも伯父の初代若乃花を彷佛とさせた。下半身が非常に筋肉質であり、奉納土俵入りの後ろ姿が、筋肉隆々な出で立ちで有名だった千代の富士貢のものとして誤った形でインターネット上で拡散されたほどである(実際は千代の富士は雲竜型だったため、判別は容易である)。

「最大の企業秘密」として現役中は徹底して隠し通されていた点があり、入門前から左の股関節が弱かったため、「左を差されて前に出られる相撲」など左の股関節に負担がかかる体勢を苦手としていたとのこと[1][5]
入門

入門に当たって、父である藤島親方からは「今日限りお前たちとは親方と弟子になる。パパとママの呼び方は許さない。親方とおかみさんだ。わかったな」と突き放され、若貴兄弟が両親に存在を認めてもらうには稽古を重ねて早期に関取になるしかなかった[6]

1988年3月場所、四股名若花田として初土俵。「花の六三組」の一人で、弟の他、魁皇らと同期入門だった。初土俵以降順調に出世するも、1989年11月場所で史上最年少関取となった貴花田には一歩出遅れたが、若花田も弟の後を追いかけるように1990年3月場所で新十両となる。同年9月場所には新入幕を果たした[6]
入幕

入幕して最初の頃は、天性の勝負勘と強靭な足腰で相手の攻撃を凌いで技を繰り出して勝つという勝ち方が多かったが、1992年後半頃からおっつけに磨きがかかるようになり、成績も伸びていった。1991年9月場所2日目には、前頭3枚目の地位で横綱旭富士を右上手投げで破り初金星を獲得し、同9月場所は自身初の三賞(殊勲賞・技能賞)を受賞[6]。さらに1992年1月場所3日目も、前頭筆頭の地位で再び旭富士を右下手投げで下し、2個目の金星を獲得。


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