「若い東京の屋根の下」
橋幸夫 の シングル
B面夜のブルース
リリース1963年4月20日
ジャンル歌謡曲
時間3分29秒
レーベルビクター(VS-991)
作詞・作曲佐伯孝夫(作詞)
吉田正(作曲)
橋幸夫 シングル 年表
新博多どんたく
(1963年1月5日)若い東京の屋根の下
この街この海この山を
(1963年3月20日)
いつでも夢を
(1962年9月20日) 若い東京の屋根の下
(1963年) 若い歌声
(1963年11月5日)
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「若い東京の屋根の下」(わかいとうきょうのやねのした)は、1963年4月20日に ビクターより発売された橋幸夫の34枚目のシングル(モノラルVS-991/ステレオSVS-30)で、「いつでも夢を」につづく吉永小百合とのデュエット曲である[1]。吉永小百合、浜田光夫主演の映画「若い東京の屋根の下」の主題歌となっている(後述) 若い東京の屋根の下
概要
橋は、前年9月20日に発売した吉永小百合のデュエット曲「いつでも夢を」(VS807)で、第4回日本レコード大賞を受賞した。売上げはその後も好調で、本年春には100万を突破している(現在までの売り上げ累計は250万枚)[2]。「夢のコンビ」といわれ[3]、デュエット2作目として本楽曲が制作された。作詞佐伯孝夫は作曲吉田正で、「いつでも夢を」と同じく橋の両恩師による楽曲である。
佐伯は「東京の屋根の下」という曲を、昭和23年に作詞しており、服部良一作曲、灰田勝彦歌唱[4]でヒットしたが、本作は作曲者は吉田正に変わったものの、その続編、昭和38年版といえるもの。
本楽曲はモノラル盤ステレオ盤の2種類が同時併売された。ジャケットデザインは同一であるが、規格番号が異なること、LIVING STEREOの表示がある。モノラル盤が290円であるのに対し、ステレオ盤は330円であったこともあり、流通は少ない。
歌詞について小野善太郎は、「東京オリンピック以前の古き良き東京のムードが溢れていて、ドキュメント的な良さがでている」としている[5]。
橋は、本楽曲について「音域が広いから、小百合ちゃんにはちょっとつらかったかもしれません」と回想している[5]。
c/wは「夜のブルース」で、これも佐伯作詞、吉田作曲である。
収録曲
若い東京の屋根の下作詞: 佐伯孝夫、作・編曲:吉田正
夜のブルース作詞: 佐伯孝夫、作・編曲:吉田正
収録アルバム
橋幸夫『橋幸夫 ザ・ベスト』(2012年7月25日) VICL-63901『<TWIN BEST>』(1998年11月6日)VICL-41033?4『<BEST ONE>』(1996年10月23日)VICL-816 ......その他
吉永小百合『吉永小百合よみがえる歌声 ?この道は長いけど 歩きながらゆこう?』(2011年11月23日)VICL-63822『吉永小百合 ザ・ベスト』(2013年11月20日)VICL-41320
映画
Under the Roof of Young Tokyo
監督斎藤武市
脚本才賀明
原作源氏鶏太(『緑に匂う花
製作児井英生(「企画」名義)
出演者吉永小百合、浜田光夫
音楽大森盛太郎
桑野蕗子は停年間近の父と、母、弟の4人暮し。父親の退職後の両親の生活費の相談で、蕗子は既に家を出ている兄姉たちの家を訪問。その時、次兄の次郎から「後輩の大学生を下宿させてやってくれ」と頼まれたのだった。明るく清純な少女の家庭を中心に、都会の十代の青春群像を描く純愛大作。蕗子と良平は好き合っているのに素直になれず喧嘩ばかり。長兄・太郎は資産目当ての結婚をしており夫婦間に愛情が無い。父は定年後の就職先がなかなか見つからなく困っていたところ、良平の友人の資産家令嬢・渡瀬和代があっさり世話してくれたので、蕗子は嫉妬でブンむくれてしまう。舞台は大田区久が原。
スタッフ
企画 - 児井英生
原作 - 源氏鶏太(『緑に匂う花
『男の紋章』
監督 - 松尾昭典 / 主演 - 高橋英樹
出典[脚注の使い方]^ 「シングルレコード・ディスコグラフィティ」橋幸夫・小野善太郎共著『橋幸夫歌謡魂』ISBN 4-948735-16-7 ワイズ出版(東京)1993/6 168-209頁以降参照
^ 『毎日新聞』1998年3月13日付夕刊 14頁
^ 『橋幸夫・吉永小百合 夢のコンビ』(MBK3083)1963年12月 ビクター出版株式会社 参照
^ ビクター音楽産業『佐伯孝夫全集/解説』 14頁
^ a b 橋幸夫・小野善太郎共著『橋幸夫歌謡魂』ISBN 4-948735-16-7 ワイズ出版(東京)1993/6 19-20頁
^ 『別冊近代映画』1963年9月号 通巻116号 107頁