苗族
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ミャオ族伝統的衣装を着たモン族。ベトナムサパの市場にて。
総人口
1100万人
居住地域
 中国900万人(2000年)
 ベトナム79万人(1999年)
 ラオス45万人(2005年)
 アメリカ17万人(2000年)
 タイ15万人(2002年)
 フランス1.5万人
 フランス領ギアナ1500人
言語
ミャオ諸語
宗教
シャーマニズム仏教キリスト教
モン族の伝統家屋

ミャオ族(中国語: 苗族、?音:Miaozu) は、中国の国内に多く居住する民族集団で、同系統の言語を話す人々は、タイミャンマーラオスベトナムなどの山岳地帯に住んでいる。自称はモン族英語: Hmong、Hmongb)であるが、Hmongは狭義にはミャオ族の一支族に用いられる呼称である。中国では55の少数民族の一つである。
名称

「ミャオ族」は自称ではなく漢民族による他称である。中国国内では「ミャオ」と称せざるを得ないが、「ミャオ」は差別と結びついて、やや低く見られるニュアンスを伴う。中国以外の地域では主として自称モンの人々が居住しており、近年は「ミャオ/モン」と併記することが増えてきた。なお、現在のタイのランプーン付近にハリプンチャイ王国(11?13世紀)を建てたモン族は、全くの別系統の人々である。東南アジア研究者の著作などでは、必ずどちらのモン族に言及するか断りを入れるのが普通である。近年では、中国国外の人々は、総称をモン (Hmong) と表記することが多い。

タイやラオスではモン (Hmong, ???, mong) で、白モンと青モンに分かれる。ベトナムではモン(ベトナム語: H'Mong)といい、黒モン族、赤モン族、花モン族と多彩に分かれる。タイ・ベトナムではメオ (M?o, ????, mεεo) とも呼ばれるがこれは侮蔑語である。
歴史詳細は「大渓文化」、「後李文化」、および「ミャオ・ヤオ語族」を参照

ミャオ族の淵源を、漢代の『書経』「舜典」記載の「三苗」や、『後漢書』西南夷伝の長沙「武陵蛮」に遡る説もあるが、現在のミャオ族との連続性は明らかではない。古代の「三苗」以降、中国の史書は長い間南方民族を「蛮」と表記し、現在に繋がるとされる文献上の「苗」の初出は、宋代の紹熙5年(1194年)、朱子が潭州(現在の長沙)に役人として赴任した際の、「苗」を「五渓蛮」の一つの「最軽捷者」とする記録(『朱子公集』巻71)である。ただし、「三苗」の国は揚子江中流域や、洞庭湖から?陽湖にかける地域(現在の湖南・湖北・江西)にあったとされ、現在でも貴州省のミャオ族には、先祖は江西にいた、もしくは東方の大きな川の畔や水辺にいたという口頭伝承が残っているので、相互を結びつけようとする学者や知識人が多い。恐らく、ミャオ族の先祖は、宋代以降の漢族の南下に伴って、揚子江流域から山岳内陸部に移動してきたと推定されるが、史料上で歴史的変遷を確定するのは難しい。

1995年頃からは、ミャオ族の祖先を蚩尤とする言説が急浮上した。これは、中国古代の伝説[1]に登場し、漢族の先祖とされる華夏民族黄帝と?鹿(たくろく、現在の河北省?鹿県付近)で争って(?鹿の戦い)敗北した蚩尤を非漢族の代表と見なし、蚩尤と一緒に闘った九黎の子孫が南方に逃げて、後に「三苗」になったと説く。「三苗」は揚子江の中下流域にあったと推定し、北方からの漢族の圧力で、西南中国の山岳地帯に移動して、現在のミャオ族になったと主張する。しかし、伝説中の「三苗」と、古代の楚や呉を構成した人々と、現在のミャオ族との関連を実証する史料は存在しない。「三苗」「苗民」「尤苗」などの記述は秦漢以前の記録にとどまり、漢代の長沙・武陵蛮などを経て、宋代に至るまで、南方の人々は「蛮」と記されている。学問的には蚩尤とミャオ族の関係は否定される。[要出典]これは費孝通が唱えた「中華民族多元一体格局」(1988年)の議論に基づいて、1990年代に「中華民族」の統合を強調する中央の学説や、1994年に中国全土に展開した漢族主体の愛国主義の運動に抗して現れた、ミャオ族の知識人による新たな対抗言説である。[要出典]

文字が無く口頭伝承で歴史を伝えてきた苗族には古代と現代を結ぶ客観的史料は存在しない。しかし、民族意識の高揚に伴い、蚩尤始祖説は定説の如く語られるようになってきている。敗北した蚩尤を非漢族の英雄に祀りあげ、ミャオ族の先祖は蚩尤であるとする考えは、ミャオ族の知識人の間では定説化して、反論することができなくなっている。ミャオ族は文字を持たず、口頭伝承によって歴史を語り伝えてきたが、まさにそれゆえに、実証的な歴史とは異なる独自の歴史意識を新たに作りあげようとしている。[要出典]
明代から清代へ

中国の明代の統治政策は、各地域の首長の世襲支配権を認めて土司に任命して間接統治をする政策をとっていたが、次第に現地との乖離が大きくなり、ミャオ族の反乱(英語版)も多発するようになった。代には貴州省などミャオ族地区への漢族の移住が増え、中央が地方官の「流官」を任命する直接支配に展開した。これを改土帰流政策(土司=少数民族首長支配を改め、流官=中央任命の地方官支配に帰すこと)という。同化政策や清朝の増税に抵抗して、ミャオ族は三次(1735年 - 1738年:ミャオ族の反乱 (1735年?1736年)(英語版)、1795年 - 1806年:ミャオ族の反乱 (1795年?1806年)(英語版)、1854年 - 1873年:咸同起義(英語版))にわたる反乱を起こした。特に張秀眉が指導した最後の反乱は大規模で、咸同起義(英語版)(かんどうきぎ)と呼ばれ、ミャオ族人口の三分の一だけが生き残ったともいう。その後は、多くの漢族商人が現地にはいり、林業を中心とした商業網を確立し、ミャオ族をはじめとする現地の人々は抑圧されることになった。清代末期の1902年から1903年にかけて鳥居龍蔵が現地にはいり、貴州省のミャオ族と雲南省のイ族の現地調査を行って、緻密な記録『苗族調査報告』(1907年)を残し、当時の状況を克明に伝えている。
中国国内のミャオ族

中国国内での総人口は894万116人に達し、中国の少数民族としては、チワン族(約1617万人)、満州族(1068万人)、回族(981万人)に次ぎ四番目である。居住地域別人口は多い順番に並べると、貴州省(429万9954人)、湖南省(192万1495人)、雲南省(104万3535人)、重慶市(50万2421人)、広西チワン族自治区(46万2956人)、湖北省(21万4266人)、四川省(14万7526人)、広東省(12万606人)、海南省(6万1264人)、浙江省(5万3418人)、江蘇省(2万2246人)、福建省(2万2065人)などである。山間盆地や斜面に集落を営む山地民である。焼畑を営んで陸稲や畑作物を作って移動を繰り返してきた人々と、棚田を巧妙に作って水稲稲作を行う定着した人々がいる。ただし、中国国内の「苗族」は、1949年の中華人民共和国の成立後に、民族識別調査を行った結果、政府から公認された「創られた民族」であり、政治的な統制と支配を行うための社会制度としての性格もある。

中国国内のミャオ族は漢・蔵(チベット)語族、苗・瑶(ヤオ)語派に属し、3つの方言集団に分かれ、各々の「自称」が異なる。湖南省西部のコーション (Qo xiong)、貴州省東南部のムー (Hmub)、貴州省西部と雲南省のモン (Hmong) である。従来は女性の服飾の色や文様に基づいて、黒苗・白苗・青苗・紅苗・花苗などと区別されることが多く、清代には『苗蛮図冊』などの図録が作成されて、当時の漢族の苗族観を知ることが出来る。地域で言えば、湖南西部(湘西)は紅苗、貴州東南部(黔東南)は黒苗、貴州西部(黔西)から雲南(文山、屏辺)では花苗・白苗・青苗などと呼ばれる。黒苗もスカートの長短から長裙苗と短裙苗に分かれる。後者の自称はガノォウ (Ghab nao) である。漢語表記の「苗族」は、各集団の自称に近い「総称」であり、民族識別によって多様な人々が「苗族」の名称でまとめられた[2]

民族識別は1953年に始まり、1954年に38の少数民族を確定し、1965年に15、1982年に2つの少数民族が加わり、現在の中国は55の少数民族と圧倒的多数の漢族という総計56の民族から構成される多民族国家とされている。民族識別は、スターリンが提唱した言語、地域、経済生活、文化に現われる心理素質の4つの共通性が基準とされたが、問題点も多い。中国における「民族」概念は政治性を帯びており「創られた民族」の性格が強い。中国国内のミャオ族について考える場合、中国の古代?近代の歴史文献上で「苗」と記述されている人々と、1949年中華人民共和国成立以降の民族識別で「苗族」と認定された人々とを区別して論じる必要がある。

現在のミャオ族は山地で常畑や焼畑を営む人々と、盆地や平野で水稲耕作を営む人々に分かれる。分布は広域にわたり、他民族と高度を住み分けたり、雑居する場合もある。焼畑を営む人々は移動がさかんで山伝いに移住した結果、現在のラオス、ベトナム、タイにも同系統の言語や類似する文化を持つ人々が生活することになった。

貴州省のミャオ族













インドシナ半島におけるミャオ族の分布

焼畑農耕に伴う移動に加えて、清軍の厳しい討伐や弾圧のため、19世紀には多くのモン族 (Hmong) が東南アジアのベトナム北部・ラオス・タイ・ミャンマー(ビルマ)に移住していった。20世紀に入り1936年7月1日に実施された仏印総督府下の国勢調査では、ベトナムで7万8400人、ラオスで4万7000人のモン族が数えられた[3]


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