芸大事件
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事件の舞台となった東京藝術大学音楽学部(上野キャンパス)

芸大事件(げいだいじけん)は、1970年代後半に、当時東京藝術大学音楽学部教授海野義雄ヴァイオリンの購入を同大学と学生に斡旋し、その見返りとして、楽器輸入販売業者・神田侑晃から80万円相当の弓と現金100万円を受け取っていた事件。1981年に発覚し、国会でも議題にあがるなど楽壇にとどまらないスキャンダルとなった[1]。事件当時、オーケストラの楽員が楽器を持って電車に乗ると「お前も海野の一味か」と酔漢にからまれる事件も起きたといわれる[2]

芸大バイオリン事件[3]、ニセバイオリン事件、ガダニーニ事件、海野教授事件[4]等とも呼ばれる。
事件の経過

1981年12月1日、楽器輸入販売業「カンダ・アンド・カンパニー」(現ミュージックプラザ)の社長・神田侑晃が有印私文書偽造および同行使の容疑で東京地方検察庁特別捜査部逮捕された。神田は、世界有数の楽器鑑定者レンバート・ウーリッツァー社(Rembert Wurlitzer Co.、米国)の鑑定用紙を偽造し、イタリアから輸入した楽器を塗装し直した上、自らが作った贋の鑑定書を付してニコロ・アマティの作品と偽り、総額1億1000万円の利益を得ていた[5]

やがて、神田侑晃に対する取り調べの過程で海野義雄に対する贈賄が明らかになった。その一つは、海野が神田保有のガダニーニ(イタリア語版、英語版)製作のヴァイオリン1丁(価格1600万円相当)を教育研究用弦楽器として同大学に購入させ、その見返りとして、神田からビネロン(英語版)製作のヴァイオリン用弓1丁(価格80万円相当)を受け取った件。もう一つは、神田保有のプレッセンダ(イタリア語版、英語版)製作のヴァイオリン1丁(価格880万円相当)を自らの指導する学生に購入させ、その謝礼として神田から現金100万円を受け取った件であった。海野は国内外のオーケストラと共演し、史上最年少で東京藝術大学教授に就任、数多くの国際コンクールで審査員を務める等高名なヴァイオリニストとして知られる人物であった[6]

海野は新聞社のインタビューで「私の出演料は1回50万円もする。民音のコンサートだって45万円も出す一流の演奏家だ。3日間出演すれば150万円にもなる。芸大教授としての年収500?600万円を含めれば年収は約2000万円。私が楽器業者からワイロをもらう必要はない。こんなことを言われるのだったら、芸大教授をやめて、演奏活動一筋に生きたい」[7]と答えたが、1981年12月8日、東京地検特捜部は海野を受託収賄ならびに有印私文書偽造[7]の容疑で逮捕[1]、同年12月28日、受託収賄罪で東京地裁に起訴した。特捜部は1976年初めから約3年のあいだに神田から海野に2000万円近い金品が贈られていることをつかんだ[8]。法廷では、
ガダニーニ購入のリベートとして神田侑晃から弓を受け取った件

芸大生に神田侑晃の店の楽器を斡旋し、現金100万円を受け取った件

の2点が問題となった。

この問題は当時の日本社会党参議院議員であった粕谷照美が国会でも追及し、当時東京芸術大学の学長であった山本正男が参考人として招致されるなど、著名な演奏家・教育者が関わった前代未聞の事件として波紋を呼んだ[1]。海野の逮捕後に芸大は綱紀粛正を図り、教員が学外でする個人レッスンを当面禁止すると申し合わせたため、吉田秀和からは「レッスンをやめてどうするのか。それは日本音楽教育に何十年の後退、損失を意味する恐れがある」「芸大に入らず学外にいるものにも才能の豊かな、あなた方の授業を必要とする人間が少なくない。それを全部やめるのですか?」と批判された[2]

1985年4月8日、海野は東京地方裁判所刑事第10部で懲役1年6月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡された[9]。これに対して海野は、東京高等裁判所に控訴したものの、「裁判をこれ以上続けることは、精神的にも時間的にも演奏と両立しない」との理由により1985年10月29日に控訴を取り下げ、有罪判決が確定した[7]。この後、海野は家族と共にフランスに移住して音楽活動を続けた。

また、楽器商・神田侑晃については1審で実刑判決がくだされたが、控訴審で執行猶予となった[10]
メディア、著名人の反応

レコード芸術1982年2月号の巻頭言では村田武雄が海野を擁護。『週刊文春1982年2月18日号と2月25日号では野田暉行小林仁が海野を擁護。

『音楽芸術』1982年4月号では、團伊玖磨がこの事件を機に東京芸大を廃校にせよ、関係者は総辞職せよと主張。『朝日新聞』は1981年12月30日社説で海野を政界から司法界にまで及ぶ金権体質や腐敗の象徴として批判するとともに、1982年2月8日2月10日2月12日の各夕刊に「『芸大事件』の中で考える」と題する記事を連載し、記事の中で伊達純や角倉一朗別宮貞雄がマスコミを非難した。『毎日新聞1982年5月14日号では、編集委員の原田三朗が「学外個人レッスン」の解禁を非難。


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