芳賀ゆい
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イラストレーターの「葉賀ユイ」とは別人です。
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芳賀ゆい(はが ゆい)は、伊集院光のオールナイトニッポンの企画で誕生した架空アイドルバーチャルアイドル)。伊集院光がプロデュースした。
来歴・人物[ソースを編集]
架空のアイドル[ソースを編集]

1989年11月の『伊集院光のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)の企画で誕生後、翌1990年に芸能活動をし、その後は消息不明とされている。活動内容はラジオパーソナリティ、水着グラビア歌手など。フィクションの存在ではあるが、様々な人物が芳賀ゆいを担当して芸能活動を行い、あたかも実在するかのように扱われた。実体の芳賀ゆいに共通するのは、ポニーテールの髪型と顔を出さないことのみ。
伊集院光が発案[ソースを編集]

発端は伊集院光が1989年11月1日、ニッポン放送(以下LF)のオールナイトニッポン(以下ANN)で発した、「映画監督の大島渚ってアイドルに付けるべき名前だよな」という旨の発言。ここから枝葉が拡がっていった。翌週にはリスナーからの反響のハガキが多く寄せられ、「はがゆい(歯痒い)って言葉あるじゃない、これもアイドルの名前だね」「“はがゆい”です、ポリスターレコードから『初恋の千羽鶴』でデビューした…違うな」などと発想が更に膨らみ、どんなデビュー曲であるべきかが募集されると、更に良い意味で悪ノリしたハガキが送られてきた(中にはジャケット写真風に真面目にふざけたイラストを描いたものなどもあったという。)。これらの反響を受けて、ついに架空のアイドルを設定するコーナーが派生した。

同番組で人気だった『おべんとつけてどこいくの?(おべどこ)のコーナー』に寄せられていた、男性が思わず胸キュン(現在の萌えに近い)してしまう『可愛らしい仕草や言葉を嫌味なく自然にしてくれそうな16歳前後の女の子』、そして当時の『伊集院の理想の女の子の容姿(ポニーテールが似合い、少し垂れ目で、やや小柄)』を主軸に据えた上で、リスナーがその雛形人格を加味していき、芳賀ゆいの人物像や背景が徐々に出来上がっていった(アイデアやイラストなど、寄せられたハガキの一部は後に発売された写真集に掲載されている)。

1990年2月の握手会で現実と初めてリンクし、CD・ビデオ・写真集の発売などを経て、伊集院光担当の同番組終了と共に企画も終了した。バーチャルアイドルの先駆けと紹介されることがある。芳賀の特徴としては、外見を複数の人物が担当したという点が挙げられる。これはラジオの最大の欠点である「映像を伝えられない」という点を逆に利用し、リスナーにビジュアルイメージを委ねるという戦略の結果である。
ベールに包まれた素顔[ソースを編集]

芳賀ゆいは理想のアイドル像として様々なプロフィールが付加され、理想像を守るために素顔は公開しない方針をとり、また実体を伴う活動には複数の人間を用意する(例えばサイン会では同時に三人も現れ、中の一人は外国人であった)など、純化された偶像であった。メディアに露出する際素顔を公開しないことから、「覆面アイドル」や「未確認アイドル」と称された。
企画の誕生と進行[ソースを編集]

芳賀ゆい企画が誕生した直接の発端は先述した伊集院光の発言であったが、この企画に飛び付いたリスナー含め関係者の土壌には、おニャン子クラブなど当時のアイドル量産路線に対する不満があったと言われている。「トイレにいかない」などの既存清純アイドル像を固持し、現実の人間とアイドル像との乖離が進んでいた中、「それだけ現実と離れたものを望むならば、架空のアイドルを作り上げてしまえ」という考えが生まれたのである。

企画の進行は、当初はパーソナリティの伊集院光とリスナー達が中心で、リスナーの考えた芳賀ゆいのプロフィールを番組のコーナーで紹介し、選考して公式のものとしていった。

芸能人である伊集院と、一般人であるリスナーの自分達が一緒に『アイドル』を作り上げているという連帯感。同じ『一人の女の子』を作り上げているのにリスナーそれぞれが違う女の子を想像したり空想する妙味。途中からは芳賀ゆいというキャラクターを作っているのではなく、さも実在しているかのような語り口となった。その後CBSソニーがCDデビューのリリース元に名乗りを上げ、商業面での進行が現実となり、世間で徐々に話題になっていくと「本当は自分達が作り上げた架空の・・」と、悪戯が成功した子供のような達成感を覚える。秘密を共有しているような高揚感が『芳賀ゆいプロジェクト』の最大の武器にして成功の原動力となったのである。実際にCDが発売され、マスメディアで取り上げられる機会も増えた一方で、伊集院光をはじめとしたスタッフおよびファンクラブから選ばれた一部のリスナーが企画会議をし、イベントを次々に開催するようになった。これは商業ベースに乗せてしまった以上抗えないオトナの事情に対する、ささやかなアンチテーゼでもあった。企画の肥大化と共に徐々に関係者も増え、リスナーには関与出来ない箇所も増えてきたが、伊集院光は企画の中心に一貫して座し、「芳賀ゆいは伊集院光のANNとそのリスナーのもの」と、その軸がぶれることは無かった。彼のリスナーを大事にする姿勢からリスナー達にも出来る限りの裁量を与えていた。
企画の終焉と活動終了[ソースを編集]

マスメディアでの露出が増え、周囲が熱を帯びてきたのと反比例するように『芳賀ゆいプロジェクト』は徐々に平静さをみせ、熱気を冷まし始めていた。これ以上盛り上げることも、また、リスナーの手から離れることも不本意であるとの意見が多く、「ひとときの祭りのような『芳賀ゆいプロジェクト』で完結させたい」とする意見が圧倒的であった。それらの意思を汲んで、その終焉を迎えるためのアイディアも、それまで通りリスナーから募集し、企画終了へ向けて動き出していた。そして、芳賀ゆいは芸能活動を休業し、留学するというものになった[1]

アイドルといえばキョンキョン様」という伊集院の友人の言葉がきっかけとなり、『なんてったってアイドル』にあやかって、スキャンダルの一つもあったほうがリアリティーが出ていいのでは?という話が進んだ。写真週刊誌FRIDAY』に『伊集院光との密会現場』とされるツーショット写真を、お遊び企画として掲載して貰った(記事の末尾にもフィクションである旨を記載された)。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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