花田真人
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花田 真人基本情報
国籍
日本
出身地福岡県福岡市東区
生年月日 (1977-10-25) 1977年10月25日(46歳)
身長
体重180 cm
80 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1999年 ドラフト5位
初出場2000年5月27日
最終出場2009年10月12日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


柳川高等学校

中央大学

ヤクルトスワローズ
東京ヤクルトスワローズ
(2000 - 2009)

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花田 真人(はなだ まさと、1977年10月25日 - )は、福岡県福岡市東区出身の元プロ野球選手投手)。
来歴・人物
プロ入り前

1995年第77回全国高等学校野球選手権大会大会で、柳川高等学校のエースとして活躍。1回戦2回戦共に自責点0で完投している。3回戦で敦賀気比高相手に延長15回途中まで投げて、自責点1で敗北を喫した。大会後、高校野球日本代表に選出された。

その後、中央大学法学部に進学。1999年春季リーグで活躍し、2部最優秀投手となる。バッテリーを組んだ阿部慎之助とともに、中央大学11年ぶりの東都大学リーグ1部昇格となる原動力となった。リーグ2部通算16勝5敗、1部通算1勝7敗。同年のドラフトで5位指名を受け、ヤクルトスワローズに入団した。
プロ入り後

2002年、中継ぎ投手ながら自らが三塁打を打つ活躍を見せ、プロ初勝利を挙げる。2003年には故障などで不安定な投球の続く先発投手陣が多い中、中継ぎで活躍を見せたため先発に昇格。6度の先発で5-6回を無難にまとめていたが、自らも腰痛でリタイアとなった。以後2004年まで目立った活躍は無かった。

2005年に一軍に定着し、40試合に登板した。続く2006年には投球術に格段の進歩を見せ、落ち着いたマウンドさばきでセットアッパーとして勝ち試合の投手リレーを支えた。自己最多の51試合に登板して4勝2敗・防御率3.33の好投を見せている。

2007年シーズン序盤は不振にあえぎ5月半ばに登録抹消。二軍でも不調だったが、一軍の投手陣も火の車で7月28日に再登録。8月8日の横浜ベイスターズ戦では9回表2死から4番手で登板し、木村昇吾を空振り三振に抑えてプロ初セーブを記録した。3日後の8月11日には早くも2セーブ目を挙げると、8月14日には6回裏1死満塁の場面で登板すると併殺打で抑えシーズン初勝利を挙げている。

2009年10月26日、戦力外通告を受け引退を表明。シーズン最終戦となる10月12日の読売ジャイアンツ戦(明治神宮野球場)が引退登板となり、7回表から登板。脇谷亮太を二ゴロに打ち取りマウンドを降りる。降板する際は中央大の1年後輩の巨人・阿部慎之助から花束を渡され、男泣きした。試合後には同じく引退する城石憲之と共に引退セレモニーが催された[1]
現役引退後

引退後の2010年からはヤクルト本社で勤務している[2]

2017年より、母校・中央大学の臨時投手コーチに就任[3][4]

2019年11月27日に放送された『じゅん散歩』(テレビ朝日)に、汐留をテーマにした回に出演した。
詳細情報
年度別投手成績




















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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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