花柳幻舟
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誕生川井 洋子
1941年5月15日
大阪府大阪市
死没 (2019-02-28) 2019年2月28日(77歳没)
群馬県安中市碓氷第三橋梁
職業著作家、舞踊家、女優
国籍 日本
教育学士(教養)
最終学歴放送大学教養学部卒業
主な受賞歴『幻舟』ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭グランプリ(1990年)
『扇の刃』ライプツィヒ国際映画祭グランプリ(1991年)
デビュー作『花柳流に反逆する 愛と憎しみの谷間で』(1972年)
パートナー羽仁五郎
公式サイト ⇒花柳幻舟公式サイト
ウィキポータル 文学
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花柳 幻舟(はなやぎ げんしゅう、本名 川井 洋子[1]1941年昭和16年〉5月15日[2] - 2019年平成31年〉2月28日[1])は、日本の著作家舞踊家女優フェミニストアナキスト
生涯

京阪神を中心に西日本各地を巡回する劇団の子として大阪市に生まれ、2歳で舞台に立つ。東映ポルノ日活ロマンポルノなどに多数出演。日本舞踊花柳流に入門。花柳流名取となったが家元制度打倒運動を開始、家元制度批判の著書『花柳流に反逆する』を出版する。

1980年、花柳流家元(三世)花柳寿輔を襲撃して包丁で斬りつけ[3]傷害罪で服役する。この時期、幻舟は歴史学者の羽仁五郎と交際があり、羽仁からは「ぼくのガールフレンド」と呼ばれていた[4]。傷害事件の裁判では羽仁を「口先だけで実行しない人」と批判もしたが、1983年6月に羽仁が死去した際には弔問に訪れた[4]。また革新自由連合の同志だった中山千夏や作家の色川武大などと交友、色川は「変わらざる友人」として幻舟のことを対談やエッセイに残している。

1984年、自伝『夕焼は哀しみ色』がテレビ朝日系列の月曜ワイド劇場『花柳幻舟獄中記』として中原早苗宮下順子芦川よしみ白川和子らの出演でテレビドラマ化、翌年には奈美悦子萩尾みどり園佳也子らを加えた続編『花柳幻舟獄中記II』も放送された。

1989年、イギリスのテレビ局チャンネル4キム・ロンジノットらによるドキュメンタリー映画『EAT THE KIMONO』(邦題・『幻舟』)が放送され、ニヨン国際ドキュメンタリー映画祭グランプリを獲得、同年にはドキュメンタリー映画『扇の刃』も製作され、ライプツィヒ国際映画祭でグランプリを獲得した。

1990年の天皇即位礼の祝賀パレードで爆竹を投げて道路交通法違反(路上危険行為)で罰金の支払いを拒絶し服役[5]。以後、警視庁の「テロ対策リスト」に監視対象者として挙げられ、皇室関連イベントなどテロが予想される行事が行われる際には監視が行われていた[6]

2004年、放送大学を卒業、『小学校中退 大学卒業』を上梓[7]

2019年2月28日 群馬県安中市碓氷第三橋梁の下に倒れているところを発見され、搬送先の病院で死亡が確認された。橋の上から転落したものとみられる[1]

2020年、遺稿集『けものみち』が出版された。
年表

1966年 花柳流の名取となる。

1968年 大阪・中座で「花柳幻舟リサイタル」を開き家元制度を告発
[7]

1977年 矢崎泰久中山千夏ばばこういちを中心にして結成された革新自由連合に企画委員として参加。

1980年2月21日 花柳流家元・花柳寿輔を襲撃[3]

1981年5月 栃木刑務所からの出所報告講演会(四谷公会堂)

1990年11月12日 天皇即位礼祝賀パレードで爆竹を投擲[8]

1991年

6月20日 東京簡易裁判所判決で罰金4万円[8]

9月 罰金を拒否し東京拘置所で20日間の労役囚に服役[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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