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出典検索?: "花山院忠輔"
この項目では、花山院家17代当主について説明しています。花山院家5代当主・花山院忠経の子については「花山院忠輔 (花山院忠経息)」をご覧ください。
凡例花山院忠輔
時代戦国時代
生誕文明15年2月10日(1483年3月18日)
死没天文11年1月20日(1542年2月4日)[要出典]
別名一字名:忠
官位正二位、権大納言
主君後土御門天皇→後柏原天皇→後奈良天皇
氏族花山院家
父母父:花山院政長、母:不詳
妻不詳
子兼雄、養子:家輔
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花山院 忠輔(かさんのいん ただすけ)は、戦国時代の公卿。太政大臣・花山院政長の子。一字名は忠。官位は正二位・権大納言。花山院家17代当主。後土御門天皇(103代)・後柏原天皇(104代)・後奈良天皇(105代)の三帝にわたって仕えた。 延徳4年(1492年)に叙爵。以降累進して左近衛中将を経て、文亀2年(1502年)に従三位となり公卿に列する。永正3年(1506年)に権中納言、永正15年(1518年)に正二位権大納言となる。しかし経済的に困窮し、永正17年(1520年)には若狭国へ下向している。一度帰京して参内し、大永4年(1524年)に右近衛大将の任命を受けたが、翌大永5年(1525年)には再び北国へ下向していった。後に再度帰京したが、享禄元年(1528年)には官職を辞して、以降朝廷に出仕することはなかった。
経歴
系譜
父:花山院政長
母:不詳
妻:不詳
男子:花山院兼雄
養子
男子:花山院家輔 - 九条尚経の次男
表
話
編
歴
花山院家17代当主
家忠
忠宗
忠雅
兼雅
忠経
定雅
通雅
家教
家定
長定
兼定
通定
忠定
持忠
定嗣
政長
忠輔
家輔
定熙
忠長
定好
忠広
定教