この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "花倉城"
logo花倉城
(静岡県)
花倉城遠景。2020年(令和2年)3月21日。
別名葉梨城、花蔵城
城郭構造山城
天守構造なし
築城主今川範氏?
築城年1353年(文和2年)?
主な改修者武田氏?
主な城主今川範氏、玄広恵探
廃城年天文5年6月10日(1536年6月28日)
遺構堀切、曲輪、土塁など
指定文化財藤枝市指定史跡
1986年(昭和61年)3月28日
再建造物なし、標柱・解説板あり
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度54分56.2秒 東経138度13分21.1秒 / 北緯34.915611度 東経138.222528度 / 34.915611; 138.222528座標: 北緯34度54分56.2秒 東経138度13分21.1秒 / 北緯34.915611度 東経138.222528度 / 34.915611; 138.222528
地図 .mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}花倉城
テンプレートを表示
花倉城(はなくらじょう)、または葉梨城(はなしじょう)は、静岡県藤枝市花倉字勝谷(すぐりや)にあった戦国時代の日本の城(山城)。花蔵城とも。1536年(天文5年)に勃発した花倉の乱において最終決戦の舞台となったことで知られる。藤枝市指定史跡[1]。 静岡県中部、志太平野に臨む山塊の一峰、標高297メートルの城山に所在する。今川範氏によって1353年(文和2年)頃に築城されたと言うが、今川範政が今川氏本拠を駿府に移転した時期とする意見もある[2]。城跡は、南北に伸びる山頂稜線を堀切で区切り本丸・二の丸が築かれ、それぞれの平場に土塁を廻らせている。山頂稜線から派生する他の稜線にも複数の堀切を設けて防御施設としているが、発掘調査は行われておらず、正確な城域は確定していないという[3]。武田氏・徳川氏による改修を受けていない今川氏独自の城郭遺構とされるが、本丸・二の丸間にみられる細い尾根筋を両側の谷に向けて竪堀状に切り開いた堀切などに、武田氏による改修の可能性があると指摘されている[4]。 1536年(天文5年)5月、当主今川氏輝の急死により勃発した、栴岳承芳(後の今川義元)と兄・玄広恵探による家督争い(花倉の乱)において、玄広恵探派が方ノ上城(焼津市)とともに花倉城を拠点とし抵抗したが、栴岳承芳派の総攻撃によって同年6月10日(新暦6月28日)に落城。玄広恵探は敗走の後自害し、乱の終結を決定付けた。この一連の戦いでは岡部親綱が方ノ上城と当城(史料上は「葉梨城」)を落とす活躍を見せ、今川義元より感状を送られたという[5]。
概要
花倉城の戦い
画像
本曲輪-二の曲輪間の堀切。
城跡最高所の本曲輪。
脚注^ ⇒「市指定文化財一覧表」藤枝市公式HP
^ 椿原 2009 pp.110
^ 椿原 2009 pp.111
^ 椿原 2009 pp.112
^ 椿原 2009 pp.110-111
参考文献
椿原靖弘 2009「花倉城」『静岡の山城ベスト50を歩く』(加藤理文・中井均 編) サンライズ出版 pp.110-113
関連項目
花倉の乱