花ざかりの森
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花ざかりの森
作者
三島由紀夫
日本
言語日本語
ジャンル短編小説中編小説
発表形態雑誌連載
初出情報
初出『文藝文化1941年9月号-12月号
刊本情報
出版元七丈書院(のち筑摩書房へ統合)
出版年月日1944年10月15日
装幀徳川義恭
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『花ざかりの森』(はなざかりのもり)は、三島由紀夫短編小説中編小説とみなされることもある[1])。全5章から成る。三島が16歳の時に執筆した作品で、校外の全国同人誌に掲載され、公に出版された初めての小説である。話者である「わたし」の祖先をめぐる4つの挿話から成り、一貫したストーリーというものはなく、祖先への強い憧れとアンニュイな雰囲気が漂う追憶と観念的な挿話が断片的に織りなされている的な作品である。最後の文章は澄んだ「静謐」を描いていて、三島の遺作『豊饒の海』のラストを思わせるような終り方となっている[2][3][4]

エピグラフに、シャルル・クロスの『小唄』の「かの女は森の花ざかりに死んでいつた、かの女は余所にもつと青い森があると知つてゐた」(訳:堀口大學)が使われている[注釈 1]。「花ざかりの森」という題名もこの詩からとられたもので、「内部的な超自然な〈憧れ〉というものの象徴」を意図している[5]
発表経過

1941年(昭和16年)、雑誌『文藝文化』9月号から12月号に掲載された[6][7]。単行本は戦争中の1944年(昭和19年)10月15日に七丈書院(のち筑摩書房へ統合)より、処女短編集『花ざかりの森』として刊行された[8][9]。同書には他に4編の短編が収録された[10]。文庫版は、1968年(昭和43年)9月15日に新潮文庫より刊行の『花ざかりの森・憂国――自選短編集』に収録された[8]

翻訳は、イタリア語(伊題:La foresta in fiore)、中国語(中題:繁花盛開的森林 または鮮花盛時的森林)で行われている[11]
あらすじ

この土地へ来てから、「わたし」は過去への郷愁から、よく追想するようになった。「わたし」はときどき、遠くの池のベンチなどで、微笑し佇んでいる「祖先」と邂逅する。人は「祖先」という言葉から紋付をつけた老人を想像しがちだが、そういった場合はごく稀で、「その人」は、背広を着た青年や、若い女であったりする。「その親しい人」はみな申し合わせたように地味な目立たない身なりをし、快活に走るように、ある距離まで「わたし」に近づいてくると、が「水の青み」に溶け入るように木漏れ日に融けて紛れてしまうのが常だった。

「わたし」は自身の生まれた家を追想する。祖母、母、父、そして、憧れである祖先たちから自分へとのように続く「一つの黙契」に思いを馳せる。川はどこの部分が川というのではなく、流れていることに川の永遠の意味があり、憧れはあるところで潜み、隠れているが死んでいるのではなかった。祖母と母においては、川は地下を流れ、父においては、せせらぎになった。「わたし」において、それが「滔々とした大川にならないで何になろう、綾織るもののように、神の祝唄(ほぎうた)のように」と「わたし」は考える。

死んだ祖母の持ち物から、熙明夫人の日記が見つかった。彼女もまた「わたし」の祖先である。夫人の日記を見ると、彼女はある夏の日に、百合の叢のあいだにきらきら光る白いものを見ていた。それは一度見たことのあるような女人であった。そしてその胸には夫人の母が身につけ、今は自分が付けている十字架が光っていた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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