芦有ドライブウェイ
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芦有ドライブウェイ株式会社
Royu driveway Co., Ltd.種類株式会社
市場情報非上場
本社所在地659-0004
兵庫県芦屋市奥池南町34-1
設立2010年6月15日
(芦有開発の設立は1958年3月1日)
法人番号4140001032990
事業内容一般自動車道の経営
代表者藤澤茂樹
資本金4,000万円
純利益2525万8000円
(2023年3月期)[1]
総資産5億3171万8000円
(2023年3月期)[1]
従業員数約40人
主要株主西日本高速道路51.0%
日本政策投資銀行49.0%
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芦有ドライブウェイ(ろゆうドライブウェイ)は、兵庫県芦屋市西宮市神戸市北区にまたがる一般自動車道事業による有料道路である。また、芦有ドライブウェイ株式会社は、これを経営する企業で、西日本高速道路(NEXCO西日本)の子会社である。六甲山の東側を越え、芦屋市街地と有馬温泉を結ぶ。延長10.67キロメートル[2] (km) 。
歴史

芦有開発株式会社が建設し、1961年9月21日に供用を開始した。建設工事の最中の1960年(昭和35年)8月29日には、台風第16号による豪雨で作業員宿舎5棟が土砂崩れに巻き込まれて倒壊。作業員24人死亡するなど災害も発生した[3]

1992年(平成4年)に隣接する西宮北有料道路が開通してからは通行料収入が減少し、2005年(平成17年)からは恒常的に赤字路線となったが、道路の赤字は同社の不動産事業の収益で穴埋めをする状況となっていた。このため、当道路をオーストラリア最大の投資銀行であるマッコーリーグループに売却する交渉が進められた。

具体的には、芦有開発が2008年(平成20年)9月中に開催を目指した臨時株主総会で特別決議を行い、早ければ同年10月末にもドライブウェイ全線と沿線の展望台やレジャー施設など自動車道事業の資産をマッコーリーグループが設立する新会社へ継承する構想であった。なお、芦有開発はマッコーリーグループへの売却後も不動産事業は継続する予定であった[4]。しかし、経済情勢の変化により文書で買収断念が伝えられた[5]

その後、2010年(平成22年)4月26日に西日本高速道路と日本政策投資銀行が当道路を買い取る契約を結んだことを発表し、阪急阪神ホールディングスグループから離脱することが決まった。西日本高速道路は、通行料金の値上げなどを行わなくとも、コスト削減によって黒字化は可能としている[6]

2010年(平成22年)6月15日、芦有開発は芦有ドライブウェイを経営する子会社として芦有ドライブウェイ株式会社を設立。7月7日に同社の株式を西日本高速道路と日本政策投資銀行に譲渡した[7]

2014年(平成26年)8月10日、台風11号による豪雨の影響で、有馬トンネル坑口部への土砂流入や盛土の崩落等の災害が発生し奥池 - 有馬ゲート間が通行止めとなった[8]。8月20日には通行止め区間は宝殿ゲート - 有馬ゲート間に短縮された[9]が、この区間の通行止めも2015年(平成27年)7月17日に解除された[10]
出入口・接続道路

芦屋ゲート(
兵庫県道344号奥山精道線)芦屋市奥池南町71-1[2]

宝殿ゲート(兵庫県道16号明石神戸宝塚線

有馬ゲート(兵庫県道51号宝塚唐櫃線)神戸市北区有馬町字栗柄1869[2]

料金

料金は、全線を通し利用する場合と、区間利用(宝殿ICを利用)の2種類が存在する。また、奥池・展望台・芦屋ハイランドを利用する場合など、同一ICから入出路する場合は区間利用の料金と同額になっている。

車種芦屋 - 宝殿宝殿 - 有馬芦屋 - 有馬芦屋 - 有馬
(往復割引)
自動二輪(125cc超)3003806801,000
普通自動車4205309501,400
マイクロバス1,0501,3202,3703,500
大型自動車1,6802,1203,8005,700

上記のほか、事業用(緑ナンバー)を除き、全車種、定期通行券も販売されている。

1月・2月は0時から翌朝7時まで閉鎖されるが、それ以外は終日通行可能である。自動二輪車は土曜日・日曜日・祝日は終日通行禁止となる。原動機付自転車を含む125cc以下の2輪車軽車両は通行できない。
駐車場

1995年6月1日現在

芦屋ゲート(トイレ併設) 芦屋市奥池南町1?35

奥池遊びの広場 芦屋市奥池南町37?23

東六甲展望台 

有馬展望台

北摂展望台

宝殿インター(トイレ併設)

有馬ゲート(トイレ併設)

設計概要[2]

総延長 10.67km(芦屋?有馬)

ループ式(環状型)道路の採用は、民間自動車道路では全国初。[2]


幅員 7m 2車線

舗装 アスファルトコンクリート 厚さ25cm 設計 荷重20t 曲線部分にゴム舗装

トンネル 4か所総延長 1525m

六甲トンネル(972m)、芦有トンネル(200m)、金井トンネル(ループ式、175m)、有馬トンネル(178m)


橋 総延長157m 設計荷重20t

芦有橋(12m)、阪本橋(12m)、平野橋(25m)、西村橋(32m)、猿丸橋(24m)、下条橋(10m)、川島橋(12m)、岩崎橋(10m)、金慶橋(20m)

金慶橋は、日本初のアルミ合金をつかった軽金属橋である[2]

平野橋と西村橋は、日本ではじめて60キロ級抗張力鋼材を使った橋で、日本鋼管が橋に実用化した[2]



バスストップ 7か所

芦有ゲート前、東お多福山、奥池、東六甲展望台、宝殿橋、瑞宝寺公園前、有馬ゲート前


駐車場 9か所

芦屋ゲート(トイレ併設、芦屋市奥池南町1?35)、奥池遊びの広場(芦屋市奥池南町37?23)、東六甲展望台(西宮市越水社家郷山1?65)、有馬展望台、北摂展望台、宝殿インター(トイレ併設)、有馬ゲート(トイレ併設)など


料金徴収所 3ヶ所

芦屋、宝殿、有馬


通信施設 芦屋、宝殿、有馬の各ゲートのほか沿線に公衆電話を設置、芦有開発奥山事務所に災害用電話を設置

最急勾配 10%、最小曲線半径30m、最小視距30m

チェーン脱着場 芦屋ゲート前、有馬ゲート前、奥池バス停前など

その他

兵庫県・芦屋市・芦有株式会社によって、県道奥山精道線の拡張整備工事を実施。当初の芦屋川沿いに新道路を建設する案は、花崗岩地質で危険なうえに膨大な工費がかかることから断念。

山手小学校の学童安全用に、道路東側の小学校運動場から道をまたいで西側歩道に架かる専用歩道橋が建設される


工費 26億円余

公道化要望

芦屋市奥池町付近に住宅地があるが、当道路を利用しないと芦屋市街地に出ることができないとして、この地域の住民から芦屋市へ公道化の要望が出されている。1966年(昭和41年)3月30日に公道化を求める陳情が出され、全会一致で採択されている。また、前述のマッコーリーグループへの売却交渉の過程でも、過度な開発を懸念する観点より、地域住民から市及び市議会に対して公道化を含む要望が提出されている[11][12]
沿線施設

奥池に隣接し、グラウンドゴルフ場やバーベキューサイトのある「奥池あそびの広場」も同社が運営している[13]

標高645mの「東六甲展望台」からは、大阪平野から神戸港までの眺望を眺めることができ、夜景スポットとしても知られる[14]

旧会社・芦有開発(株)について
芦有開発(株)の沿革[15] [2]

1957年5月22日 平野斉一郎を発起人代表として発起人設立準備委員会を開催。社名を「芦有開発(株)」に決定。

芦屋市長の猿丸吉左衛門によって、1951年3月に「芦屋国際文化住宅都市建設法」が公布され、続けて内海清・芦屋市長のもとでも山地開発がすすめられる。

1957年3月25日の芦屋市議会協議会における当自動車道の仮称は「六甲横断開発道路(仮称)」。

社章は、アルファベットのRを円で囲む[16]


1957年5月23日 運輸省・建設省へ道路運送法による一般自動車道事業経営免許を申請。

起点=芦屋市奥山町1番地先

終点=神戸市兵庫区有馬北畑638番地先

申請理由

 六甲連山をもって完全に遮断せられたる芦屋・有馬間に近代的高速自動車専用道路を完通させ、両地点を短絡直結せしめ、あわせて六甲国立公園東部未開発地域を開発することを目的といたします。 有馬は京阪神に最も近い唯一の家族的温泉地として内外人に愛せられ、保養の客は雲集し非常な発展を続けておりますが、自動車による便は明治、大正の時代と大差なき状態であります。  六甲を東行する宝塚線は危険な急坂七曲りの嶮、すれ違い至難の長区間である船坂峠の降雨ごとに荒れる山間道路11.2キロは、近時大型化した観光バス、トラックの通過をこれ以上許容できなくなりました。六甲を西にとれば19.5キロの大迂回をなして漸く神戸市街地の北辺に達します。これより京都、大阪へは余分の長距離車走となるのであります。 芦屋・有馬間8キロ強のこの路線が開発されればわずか20分間で両地点を結ぶ(現在1時間10分)、貨客の利便ははかり知れないものがあります。国鉄が阪神間唯一の急行電車停車駅に芦屋を指定、今秋より営業を開始いたしますことは本申請路線の利用後をいよいよ高からしめます。  また観光路線としてのみならず有馬奥地の広大な地域産業の発展に寄与するほか、東六甲山中の眞平な地はもちろん急斜面の疲弊した土地にも新たなる生命と豊穣を与えることができますので、1日も早くこれが実現を期し、ここに申請に及んだ次第であります。

1957年12月27日 運輸大臣・建設大臣より、一般自動車道事業経営免許の認可がおりる。

1958年3月1日 芦有開発株式会社を設立。仮事務所を芦屋市業平町74の芦屋公会堂内とする。

1958年10月30日 芦屋市より山地開発のため芦屋市奥山の土地70万坪(約230万平方メートル)が会社へ払い下げ

1959年2月27日 取締役役員の1名を増員(芦屋市長・内海 清氏)。公共団体が民営資本と組んで事業を進める、いわゆる『第3セクター』方式の先駆けのひとつだった。

1959年3月31日 本社建設用地として芦屋市公光町29-5の土地約257坪(約851平方メートル)を市から購入

1959年6月1日 芦有自動車道工事の起点から1.94kmの間の施行認可を得る

1959年6月26日 六甲山上の土地45町8反2畝(約46ha)を草川吾一氏より購入

「吉高神社」(六甲最高峰・一軒茶屋から魚屋道沿いに有馬方面に北上したところに所在)は、芦有開発が土地を購入して以降、芦有開発社有地内となったため、春と秋に芦有開発によって祭礼が続けられた。祠が老朽化したため、1976年に芦有開発によって改築して、同年秋には20数年ぶりに大祭を行った。神社の神体は播磨・石の宝殿にある白山權現の神体のヘビ『ミーサン』を分祀したもので、戦前から大阪北浜の株屋仲間の信仰を集め、昭和10年頃の祭りには500人もの参拝者が集まった。2020年8月現在、敷地内土砂崩れのために立ち入りが禁止され、吉高神社は有馬にある湯泉神社(神戸市北区有馬町1908)に遷座した。


1959年7月1日 兵庫県芦屋ユースホステル建設のため、1000坪の敷地を無料貸与

1959年7月25日 芦有自動車道路工事を芦屋ゲート起点で着工(1961年8月17日完成)

1959年11月12日 厚生大臣から自然公園法による芦有道路事業認可を受ける

1960年6月10日 「兵庫県芦屋ユースホステル」をオープン(芦屋市奥池南町40-30)

2000年3月31日 兵庫県芦屋ユースホステルを閉館


1960年6月18日 芦有開発株式会社の本社完成。所在地、芦屋市公光町29-5。

1961年9月21日 「芦有自動車道路」の供用を開始。

9月21日10時より開通式、同日14時以降から一般自動車へ無料開放。翌22日午前0時より営業開始

開通式には、高松宮殿下などをお迎えする


1961年12月12日 タクシー事業について運輸省から認可を得る

1962年4月11日 タクシー事業「芦有タクシー」の営業を開始。ハイヤー制により、芦屋営業所・有馬営業所にトヨペット・クラウン15台(のち22台に増車)を備えて、事業開始。

1972年4月24日 タクシー事業「芦有タクシー」を廃業。乗務員不足による休車や経費高騰による赤字つづきのため。


1962年8月22日 東六甲(ループ)展望台(西宮市越水社家郷山1?65)の遊園地を造成。バス停側からレストハウスへのオーバーブリッジ(架道橋)を架設。レストハウスの食堂事業(軽食・喫茶)を始める。

1962年9月25日 秩父宮妃殿下を東六甲展望台にお迎えする

1963年8月1日 展望台レストランでジンギスカン料理を始める

1968年にレストハウスの営業を中止。

1969年5月14日 展望台レストランのジンギスカン料理を委託契約で再開


1962年10月2日 芦屋?有馬、芦屋?六甲山上間路線の定期バス運行について運輸省から認可を得る。

1963年3月31日 芦屋?有馬、芦屋?六甲山上間定期バス事業「芦有バス」を営業開始。車両8台(のち2台増車)。

1964年3月2日 芦屋市浜芦屋町の宅地117坪(386平方メートル)を買収し、バス・タクシーの給油所とする

1965年9月10日 芦有バスの運賃改定実施(約46%値上げ)

1970年4月?1971年3月 芦有バス(芦屋?有馬、芦屋?六甲山上間定期バス)を1日上下約60便のダイヤを約半分に削減した

1973年3月31日 芦有バス(芦屋?有馬、芦屋?六甲山上間定期バス)のうち、宝殿?六甲山上間を1972年から運行休止中だったが、3月末で路線を廃止。

1977年6月28日 第32期株主総会において、路線バス事業を阪急バス(株)へ譲渡することが承認される

1977年9月21日 路線バス事業を阪急バスに譲渡。この日より阪急バスの芦屋有馬線として運営される。


1963年6月22日 宅地建物取引業者の免許を取得。7月4日に業者登録。

1963年7月20日 奥池動物園および舟遊びなど奥池園地事業として国立公園事業の認可申請と風致地区関係の許可を申請



1964年4月2日 奥池園地事業の認可を得る。レストラン・遊園地・舟遊び・小動物園・奥池野外ステージを建造。

奥池でこれよりさき業者による売店と貸ボードの営業が行われていたが、1961年3月に芦有開発が買収し、同年4月から貸しボート、同年6月から売店の営業を開始。


1964年6月21日 日本国有鉄道から旧国鉄三田?有馬間の廃線敷地4万8617坪(16万716平方メートル)の払い下げを受ける

当初の道路建設構想では、有馬を経て三田市に抜けるルートも計画していたため、1943年に廃線になった有馬?三田(約8km)の国鉄有馬線の敷地も購入した。

1965年4月より、国鉄有馬線廃線敷地を、所属する神戸市・西宮市・三田市の各市へ売却を開始した。

1971年3月より、国鉄有馬線廃線敷地を、日本道路公団から一部買収したいとの申し出があったのを機に、西宮市・三田市・神戸市各市域内に属する土地を各市へ売却。


1964年7月24日 「奥池遊園地」を開園。「第1回ハワイまつり」を開催。

1970年6月1日 奥池遊園地を廃業。芦屋市が奥池貯水池を造成するにあたり、水質保全のために奥池の舟遊びなど水面使用が禁止になったほか、別の市有地との交換が行われ、芦有開発の遊園地が大きく縮小されたため。

小動物園の動物たち、ボートや水遊び道具、遊園地に導入された旧京都市電のチンチン電車2両などは「東条湖ランド」に売却された。


「奥池ハワイまつり」は、その後5年間開催したが、1969年から中止となった。


1964年8月18日 第1工区の宅地造成工事の事業認可を受け、工事着工。


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