芝高等学校
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芝中学校・高等学校

.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分37.0秒 東経139度44分47.0秒 / 北緯35.660278度 東経139.746389度 / 35.660278; 139.746389座標: 北緯35度39分37.0秒 東経139度44分47.0秒 / 北緯35.660278度 東経139.746389度 / 35.660278; 139.746389
過去の名称浄土宗学東京支校
芝中学校
国公私立の別私立学校
設置者学校法人芝学園
校訓遵法自治
剛毅敬虔
設立年月日1887年(浄土宗学東京支校)
1906年(芝中学校)
創立者増上寺
共学・別学男子校
中高一貫教育完全一貫制
課程全日制課程
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
学期3学期制
学校コードC113310300044 (中学校)
D113310300033 (高等学校)
高校コード13524A
所在地105-0011
東京都港区芝公園三丁目5番37号
外部リンク公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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芝中学校・高等学校(しばちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都港区芝公園三丁目に所在し、中高一貫教育を提供する私立男子中学校高等学校

高等学校においては生徒を募集しない完全中高一貫校[1]。校長は武藤道郎、理事長は小林正道。
概要

江戸時代初頭に成立した浄土宗増上寺の教育機関が淵源であり[2][3]1887年明治20年)に前身である浄土宗学東京支校が設置され、1906年(明治39年)に組織を改め芝中学校として設立された。戦前より進学校[4][5]として知られ、各界で活躍する幾多の人材を輩出している。

周辺は芝公園に隣接した緑豊かな環境だが、愛宕グリーンヒルズなどのオフィス街や、増上寺や東京タワーなどの観光地も位置している。また、正門斜向かいには駐日オランダ大使館があり、定期的に交流がある[6][7]

生徒募集は中学校の男子のみで、高等学校からの募集は行わない完全中高一貫校である。この特色を活かし、高校2年生までの5年間で各教科の履修内容をほぼ終了させ、高校3年生の1年間で大学受験の本格的な準備を行うという体制が整えられている。
校風

真理を拠り所とし、自らの力により自己を治めることを説く校訓『遵法自治』の下に、自由で伸びやかな校風を特徴としている。学校は仏教主義に基づく豊かな人格の養成の場として位置付けられており、全ての生徒の個性や自主性が尊重され、生徒は「法律を犯さない」「他人に迷惑をかけない」「他人に不快感を与えない」範囲で自由に行動することができる。この校風は「芝温泉」と呼ばれることがある[1]

また、芝は家族主義の学校であり、生徒、教員、OB、保護者は全て芝学園という中の家族であって、互いに愛し合い支えあって生きて行くという考え方が根底に流れている。したがって、特に学校は生徒を如何なる場合でも大切にし、守って行かなければならないという姿勢がある。
浄土宗教育

毎年4月に全校で増上寺へ御忌参拝(ぎょきさんぱい)を行う。また、法然上人の命日である毎年1月25日には「大宗祖日」を執り行い、それまでの1年間に亡くなった芝学園関係者の法要と宗教行事を行う[8]。芝学園の生徒手帳にも、法然上人が詠んだ宗歌「月影」が掲載されている。月影のいたらぬ里はなけれどもながむる人の心にぞすむ

また、増上寺とのかかわりは校歌でも「三縁山(増上寺の山号)内伽藍の後……芝学園の甍(いらか)は高し」と歌われている。
沿革

13世紀頃 - 芝学園の源流である関東十八檀林を浄土宗が設立[9][10]

江戸時代初頭 - 増上寺内に僧侶養成と徒弟教育の機関として整備される[2][3]

1683年天和3年)- 浄徳院(徳川綱吉子・徳松)の別当として、芝学園の母体となった「岳蓮社」が増上寺境内に創立される[11][12]


1868年明治元年) - 宗学校として再編が始まる[13]

1887年(明治20年)- 浄土宗学東京支校として設置。

1898年(明治31年)- 浄土宗第一教区宗学校に校名を改称。

1906年(明治39年)3月 - 芝中学校(旧制中学校)として設立。初代校長に松濤賢定就任。

1907年(明治40年)3月 - 第1回生33名が卒業する。第2代校長に荻原雲来就任。

1910年(明治43年)7月 - 校旗・校歌制定。

1911年(明治44年)- 第3代校長に渡邊海旭就任。

1916年大正5年)

2月 - 校舎が全焼する。この際に校旗も燃えてしまったため、生徒からの募金で新校旗が調製される(平成まで使用された)。

10月 - 浄土宗の学制改革により宗学校部門を廃止。


1918年(大正7年)3月 - 校舎(3階建)竣工。

1919年(大正8年)3月 - 講堂竣工。

1925年(大正14年)- 軍事教育訓練が始まる。

1931年昭和6年)3月 - 武道場新設。

1933年(昭和8年)1月 - 校長渡辺海旭、病気のため急逝。

1934年(昭和9年)7月 - 千葉県竹岡に臨海寮開設。

1939年(昭和14年)- 校庭拡張。

1945年(昭和20年)3月 - 戦災により校舎が全焼。麻布中学校芝商業学校の教室借用。第39回生・第40回生が同時に卒業する。

1948年(昭和23年)

3月 - 旧制中学校として最後の第43回生が卒業する。

4月 - 学制改革により新制中学校・高等学校に改組される。

6月 - 復興祭開催。

10月 - PTA創設。


1951年(昭和26年) - 学校法人芝学園を設立する。

1952年(昭和27年)3月 - 校舎増築(旧校舎)、校庭拡張。

1953年(昭和28年)4月 - 生徒会設置、校庭拡張。

1960年(昭和35年)5月 - 校庭拡張。

1965年(昭和40年)7月 - 水泳プール竣工。

1966年(昭和41年)10月 - 現講堂竣工。

1973年(昭和48年)6月 - プール跡地に現体育館が竣工。

1981年(昭和56年) - 校庭が全天候型ウレタン舗装となる。

1982年(昭和57年) - 高校入試廃止。

1991年平成3年) - 高校生の白鞄着用が自由化される。千葉県竹岡臨海寮が消防署の警告により建て替えられる。

1992年(平成4年)4月 - 全館冷房化される。

1998年(平成10年)4月 - 現校舎竣工。ニュージーランド研修が初めて実施される。

1999年(平成11年)3月 - 芸術棟竣工。

2002年(平成14年) - 中学生の制帽着用が自由化される。


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