芝浦
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芝浦
町丁
芝浦を通過する東京モノレール(2022年)
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日本
都道府県 東京都
特別区 港区
地区芝浦港南地区
面積[1]
 ? 合計1.25 km2
人口(2021年(令和3年)8月1日現在)[2]
 ? 合計25,969人
 ? 密度21,000人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号105-0023(一丁目)[3]
108-0023(二?四丁目)[4]
市外局番03[5]
ナンバープレート品川
※座標は八千代橋交差点付近[6]

芝浦(しばうら)は、東京都港区の地名。現行行政町名は芝浦一丁目から芝浦四丁目。郵便番号は一丁目が105-0023(銀座局管区)[3]、二?四丁目が108-0023(高輪局管区)[4]
概要

東京湾に面した、港区東部の芝浦港南地区総合支所管内に属する地域である。運河が多い埋立地であり、ほぼ全域がJR山手線の東側に位置する。工場やオフィス、倉庫などの商工業施設が大半を占めるが、高層住宅も存在する(後述)。また、JR田町駅芝浦口周辺を中心に商店街飲食店街がある。

現在の芝浦は、明治時代から昭和時代初期にかけて、遠浅の海を埋め立てて船舶が接岸できる港を作ることを目的とした「隅田川口改良工事」によって成立しており[7]、工事第1期の埋立3?5号地と第3期の埋立2?6号地に当たる。港区三田とはJR山手線・京浜東北線線路で、港区海岸港南とは運河で接している。

東京都都市整備局2022年に発表した地震に対する総合危険度の町丁別評価では、芝浦一丁目から四丁目までいずれも、5段階評価のうち相対的に都内で最も安全とされる「レベル1」となった[8]

芝浦の町域内には鉄道駅はないが、田町駅・三田駅日の出駅芝浦ふ頭駅などが近い。
地名

「芝浦」とは「芝の浦」の意味であり、もともとは芝一帯の東京湾を指す言葉であった。この地域一帯の地名に見られる「芝」とは、文字通りのことで芝が生い茂った地であり、その沖の海底部分であるため「芝浦」と呼ばれるようになったといわれている。

また、「芝」とは芝沖の海苔の養殖に使う木の枝「ひび」(竹篠)のことであり、「ひび」の並んだ海であることから「芝浦」となった、とする説もある。芝浦は現在では行政区画上の芝浦一?四丁目の地域のことであるが、広義では港区海岸・港南の全域を含む山手線よりも東京湾寄りの埋め立て地域全体を指し[注 1]、山手線よりも内側で、元々陸地の部分が「芝」と呼ばれる。
歴史昭和初期、芝区では埋立地や区画整理が実施された地区を中心に町名整理が行われた。

現在の芝浦一帯は、かつては江戸湾(東京湾)の海底だった。中世から東京湾の重要な海運拠点で、戦国時代には後北条氏の水軍の一拠点であったとされ、北条氏の縁戚である吉良頼康玉縄城北条綱成の管理下に置かれた。歌川広重名所江戸百景」より『芝うらの風景』

江戸時代には雑魚場と呼ばれて栄えた。また芝浦で採れた魚は芝肴(しばざかな)と称され江戸に広く出回り、将軍にも献上された[9]。いわゆる江戸前である。特に芝海老は特産となった。芝浦では海苔の養殖も行われた。

大正時代から太平洋戦争を挟んで昭和30年代まで花街が存在した[9]。当時の痕跡を示す見番の建物は修改築され、2020年から港区立伝統文化交流館として活用されている。

1920年に創立した日本初のプロ野球チーム「日本運動協会」の発祥の地である。当時埋め立てが進んだ芝浦を本拠地としていたことから、「芝浦協会」とも呼ばれていた。また、日本初の放送が行われた場所もこの芝浦の地である[注 2]

1980年代後半のバブル景気の頃には、土地が安いことから「ウォーターフロント」として流行の発信地となり、ディスコライブハウスが多数作られた。
沿革

1912年明治45年) 隅田川口改良工事が始まり、そのとき浚渫された土砂を使って芝浦地区の埋め立てが開始される。

1919年大正8年)2月 芝浦海面埋立地が完成し、翌3月に芝浦町一?三丁目が成立、東京市芝区に所属する。

1932年昭和7年) 芝浦町一丁目に外国・国内の貨物船専用桟橋である芝浦桟橋(芝浦埠頭)が完成する。

1936年(昭和11年)1月1日 芝浦町とその周辺の町域整理を実施。芝浦町二丁目に周辺地域をあわせて新たに芝浦一?三丁目が成立する。また、芝浦町三丁目に周辺地域をあわせて西芝浦一?四丁目が起立され、芝浦町一丁目は海岸通三丁目に変更となった。

1947年(昭和22年) 芝区が赤坂区麻布区と合併して新たに港区が成立。それに伴い、芝浦地区は東京都港区芝浦・西芝浦となる。

1964年(昭和39年)7月1日 芝浦地区に住居表示が実施され、芝浦に西芝浦を統合し、現行の芝浦一?四丁目が成立する。

町名の変遷

実施後実施年月日実施前(各町名ともその一部)
芝浦一丁目1964年7月1日芝浦一丁目
芝浦二丁目芝浦二丁目
芝浦三丁目西芝浦一丁目、西芝浦三丁目
芝浦四丁目芝浦三丁目、西芝浦二丁目、西芝浦四丁目

再開発

その全面が埋め立て地であり、その為工場や倉庫が多かった芝浦では、バブル景気崩壊後の1990年代以降、付近の汐留品川などの埋め立て地と同様、再開発が盛んになった。


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