芝川_(埼玉県)
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芝川
さいたま市緑区(2014年4月)
水系一級水系 荒川
種別一級河川
延長29[1][3] km
平均流量250[2] m³/s
流域面積96.8[2][注釈 1] km²
水源埼玉県桶川市
水源の標高19 m
河口・合流先荒川
流域埼玉県(河口付近は東京都足立区
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菜の花に包まれる芝川(上尾市本町一本杉橋付近)

芝川(しばかわ)は、主に埼玉県東部を流れる一級河川荒川水系荒川の支流。
地理

埼玉県桶川市末広2丁目を発する流れ[注釈 2]と上尾市菅谷[1]を発する湧水[注釈 3]が芝川の源流とされ、この2本の流れが上尾市本町の一本杉橋の北側で合流し、南に流れる。

その後東に流れを変えながらさいたま市の通称見沼田圃の沖積平地のほぼ中央を流れる。この付近の海抜は4 - 5 mである[1]。加田屋川と合流し再び南に流れると、緑区川口市の境界付近では芝川第一調節池が建設されている。その後川口市に入り青木水門で芝川と新芝川(芝川放水路)に分かれる。川口市南端の領家水門で新芝川と再合流し、芝川水門で荒川(荒川放水路)に注ぐ。

芝川によって形成された低地は、大宮台地の浦和・大宮支台と片柳支台、鳩ヶ谷支台を隔てている。
歴史

さいたま市東部に存在した沼地である見沼に注ぎ、見沼から流れ出て荒川に注いでいた川が芝川の原形である。なお、網代橋から青木水門の付近は古入間川の流路であり、かつての芝川は網代橋までであった。

なお、江戸時代のはじめに、関東郡代伊奈忠次によって溜井(ため池)に改修されていた見沼が、1728年(享保13年)に干拓されて[1]見沼田圃(見沼たんぼ、さいたま市見沼区緑区)になると、排水路として見沼田圃の最も低いところが開削されて、現在の芝川の河道がつくられた[5]。さらにその下流も改修されて、芝川は江戸と干拓地を繋ぐ通船路としても用いられた。別名「見沼中悪水」といわれた[6]が、ここでの悪水は汚い水の意ではなく農業用水でない水という意である。なお、現在の網代橋付近から青木水門付近までは江戸時代以前に流れていた旧入間川の流路跡を利用したものである。かつての旧入間川は北東方向に流れ、毛長川方面へ流れていた。

近代には荒川放水路掘削に関連して下流の治水を目指し、1916年(大正5年)より県による水利調査が実施され、1921年(大正10年)から1930年(昭和5年)にかけて現在のさいたま市大宮区堀の内町二丁目から荒川合流点までの河川改修工事および荒川合流点の逆止水門の設置を実施[1]、1940年(昭和15年)には綾瀬川方面へ流れる放水路の建設が始まった。しかし戦争による中断で、開削した放水路(有明橋付近の約1,350 m)は水を湛えたまま放置された[7]。戦後、開削した部分を活用して本流から東寄りに迂回した後に再度本流に合流して荒川に至る形に計画を変更して1955年(昭和30年)から放水路の建設を再開し、1965年(昭和40年)[1]に新芝川(芝川放水路)が完工した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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