しばやま つとむ
芝山 努
生年月日 (1941-03-09) 1941年3月9日(83歳)
出生地 日本・東京都台東区
職業アニメ監督
演出家
活動期間1963年 -
事務所亜細亜堂コンテンツ代表
主な作品
キャラクターデザイン・総作画監督
『元祖天才バカボン』
『はいからさんが通る』
『おねがい!サミアどん』監督
『がんばれ!!タブチくん!!』シリーズ
『新・ど根性ガエル』
『ドラえもん』
『映画ドラえもん』シリーズ
『らんま1/2』
『ちびまる子ちゃん』
『忍たま乱太郎』
『ニャニがニャンだー ニャンダーかめん』
『まじめにふまじめ かいけつゾロリ』
受賞
毎日映画コンクール
アニメーション映画賞
1998年『ドラえもん のび太の南海大冒険』
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芝山 努(しばやま つとむ、1941年3月9日 - )は、日本のアニメ監督、演出家、亜細亜堂コンテンツ代表取締役。東京都台東区出身。 浅草で4代続いた三味線の部品売り屋の次男として生まれ、少年時代は三味線、長唄、小唄、落語といった東京の下町文化に馴染んで過ごす。 埼玉県立春日部高等学校、明治大学文学部演劇学科を卒業後、演出家を志望して、東映本社のCMの企画・演出の募集に応募するも不合格。そこで「アニメーションは演出の勉強になるから」と紹介された東映動画(現: 東映アニメーション)の採用試験を受けたのがアニメ業界入りのきっかけだった。 1963年に東映動画に契約社員として入社、長編アニメ映画『わんわん忠臣蔵』で動画デビュー。『狼少年ケン』の動画担当時に林静一に師事し、絵柄等で多大な影響を受ける。 1966年にAプロダクション(1976年よりシンエイ動画に改組)へ移籍。東映動画が長編アニメーションの制作を縮小したのと、先に移籍していた楠部大吉郎や東映動画の同期生・小林治に誘いを受けたのが理由だった。Aプロ?シンエイ動画では『ムーミン』『天才バカボン』『ど根性ガエル』『元祖天才バカボン』など数々の名作の作画監督、演出を手がける。 1978年、シンエイ動画を退社し小林治・山田みちしろらと亜細亜堂を設立する。 1979年、『がんばれ!!タブチくん!!』で初めて劇場用作品の監督を務める。『ドラえもん』の映画版大長編では、1983年の第4作から2004年の第25作までの22作で監督を務めた。その後、2005年度第60回毎日映画コンクールアニメーション映画賞[注釈 1]の選考委員を務めた。 2000年代からは亜細亜堂の関連会社である亜細亜堂コンテンツの代表取締役を務める。2007年には『まじめにふまじめ かいけつゾロリ』の総監督を務めた。 2012年、平成24年度文化庁映画賞を受賞(映画功労部門)[1]。 見やすく、アニメーターが絵を描くことに力が軽減でき、キャラクターの演技をさせやすいカメラアングル・変化のあるカメラワークで魅せるアクション[2]・綿密な時間計算・細かい絵など、繊細な絵コンテで知られる。『ドラえもん のび太とロボット王国』『ドラえもん のび太とふしぎ風使い』は書籍化もされた[3][4]。『 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』や『カラフル』などの監督である原恵一は彼の絵コンテに絶大な影響を受けていると発言するなど、その精緻な絵コンテは数多くのアニメーター・演出家に影響を与えている。 かつては、「ドラえもんの芝山さん」「芝山さんのアニメは安心して見られる」との評価が不満で、「僕は人間のドロドロした内面も描きたい」と語っていた。 東映動画の同期入社には宮崎駿、林静一がいる。宮崎駿とは同い年(1941年の早生まれ)である。
来歴
人物・作風
参加作品
テレビアニメ
オバケのQ太郎(モノクロ版)(1965年 - 1967年、作画)[5]
ハッスルパンチ(1965年 - 1966年、作画監督)
パーマン(モノクロ版)(1967年 - 1968年、作画)[6]
キングコング(1967年、作画監督)
巨人の星(1968年 - 1971年、作画監督)[7]
ムーミン(1969年 - 1970年、作画監督)
天才バカボン(1971年 - 1972年、作画監督)[8]
ど根性ガエル(1972年 - 1974年、作画監督)[9]
はじめ人間ギャートルズ(1974年 - 1976年、原画)
ガンバの冒険(1975年、場面設定・レイアウト)[10]
元祖天才バカボン(1975年 - 1977年、キャラクターデザイン・総作画監督)[11]※途中降板
まんが日本昔ばなし(1975年 - 1994年、作画・演出)
おれは鉄兵(1977年 - 1978年、絵コンテ・レイアウト)
はいからさんが通る(1978年 - 1979年、キャラクターデザイン[12])
怪物くん(第2作)(1980年 - 1982年、基本設定)
新・ど根性ガエル(1981年 - 1982年、チーフディレクター)[13]
二死満塁(1982年、演出・作画監督)
ときめきトゥナイト(1982年 - 1983年、絵コンテ・演出)
ドラえもん(1984年 - 2005年、チーフディレクター・脚本・絵コンテ・演出)
ゴッドマジンガー(1984年、オープニング・エンディングアニメーション)[14]