座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分23秒 東経139度44分54秒 / 北緯35.65639度 東経139.74833度 / 35.65639; 139.74833
芝公園
増上寺を中心とする芝公園
分類都市公園(総合公園)
所在地 日本東京都港区芝公園一・二・三・四丁目
開園1873年10月19日
運営者東京都(指定管理者:東京都公園協会)
港区(指定管理者:アメニス・ケイミックス・日比谷花壇グループ)
西武鉄道株式会社
事務所芝公園サービスセンター
事務所所在地〒105-0011
東京都港区芝公園4-10-17
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芝公園
丁目
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}芝公園芝公園の位置
北緯35度39分26.73秒 東経139度44分53.55秒 / 北緯35.6574250度 東経139.7482083度 / 35.6574250; 139.7482083
国 日本
都道府県 東京都
特別区 港区
地区芝地区
面積[1]
? 合計0.65 km2
人口(2019年(令和元年)8月1日現在)[2]
? 合計1,278人
? 密度2,000人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号105-0011(芝局集配区)[3]
市外局番03[4]
ナンバープレート品川
※座標は増上寺付近[5]
芝公園(しばこうえん)は、東京都港区にある都市公園(総合公園)[6]である。都立芝公園、港区立芝公園、都市計画法に基づく特許事業により認可された[7]プリンス芝公園の総称。また、「芝公園」は港区の町名でもあり、芝公園一丁目から芝公園四丁目まで存在する。この記事では、公園と町名の双方について述べる。 芝公園は増上寺を中心とした緑地帯(都立公園)であり、1873年(明治6年)の開園と、東京都内でも上野恩賜公園などと並ぶ古い公園である。元々は増上寺境内の敷地を公園としていた。しかし戦後の政教分離の考えにより、増上寺の敷地とは独立して宗教色のない都立公園として新たに遊具や運動施設などが設けられ、整備された。そのため、現在の公園の敷地は増上寺を取り囲むような形状になっている。 公園内にホテル、学校、図書館などの施設が点在するほか、グラウンドや散策路などがあり広大な公園施設となっている。また、園内には前方後円墳の芝丸山古墳、丸山貝塚もある。 東端には港区役所、西端には東京タワーが建ち、特に東京タワーを正面に望む東側の散策路はデートスポットとして、ロケ撮影地として親しまれる。 また、芝公園の名称は周辺一帯の町名(芝公園一丁目から芝公園四丁目)としても使われている他、地下鉄の駅名(都営地下鉄三田線芝公園駅)や高速道路の出入口の名称(首都高速都心環状線芝公園出入口)にもなっている。
概要
歴史芝公園絵葉書大正時代
古くはこの地は飯倉御厨
江戸期の増上寺の総構えのわずかに東に位置する芝大神宮がかつては増上寺や東京タワーの場所にあった。芝大神宮は天照皇大御神 - 伊勢神宮内宮の主祭神、豊受大御神 - 伊勢神宮外宮の主祭神を奉る。
沿革
1598年(慶長3年) - 増上寺が徳川家康によって麹町から現在の芝の地に移される。
1873年(明治6年)10月19日 - 芝公園が開園する。また、公園敷地が芝公園地1-25号地の計25区画に振り分けられる。
1878年(明治11年) - 芝区成立に伴い芝公園は芝区に編入され、東京府芝区芝公園地となる。
1889年(明治22年)5月1日 - 東京市の成立に伴い東京市に所属し、東京市芝区芝公園地となる。
1890年(明治23年)、増上寺五重塔を増上寺から芝公園に移管する。
1899年(明治32年) - 初代陸地測量部長小菅智淵工兵大佐の銅像が公園内に建立される(後に戦時中の金属供出で撤去)。
明治末期、次第に住所である芝公園地の「地」が省略されるようになり、東京市芝区芝公園となる。
1929年(昭和4年) - 芝区役所(現在の港区役所および芝地区総合支所)が芝公園6号地に移転。
1945年(昭和20年) - 戦災により、増上寺境内の五重塔と徳川家霊廟などほとんどが焼失する。
1947年(昭和22年) - 芝区が赤坂区・麻布区と合併し、新たに港区が成立。それに伴い、東京都港区芝公園となる。政教分離の趣旨のため、増上寺、東照宮境内地の敷地を公園から分離。
1957年(昭和32年)12月21日 - 都市計画決定
1958年(昭和33年)10月14日 - 東京タワーが芝公園20号地に完成する。
1965年(昭和40年)7月1日 - 芝公園の一部が西新橋三丁目に編入される。
1970年(昭和45年)11月22日 - 沖縄返還に向けた日米共同声明に抗議するデモ隊の一部が4号地付近で機動隊と衝突。機動隊側が催涙ガスを使用する一方、デモ隊側も御成門交番を焼き討ちし、ひかり幼稚園の窓ガラスを割るなど騒乱状態となった[8]。
1972年(昭和47年)1月1日 - 住居表示の実施に伴い、芝公園の一部が芝大門一丁目に編入され、残りの芝公園1-25号地に周辺地区を合わせ、現在の芝公園一丁目-四丁目が成立する。
1979年(昭和54年)7月23日 - 芝公園二丁目のマンションの一室でガス自殺未遂。爆風により周辺30数戸に被害[9]。
1977年(昭和52年)9月1日 - 芝栄町の一部を芝公園三丁目・芝公園四丁目に編入する。
1999年(平成11年)4月9日 - プリンス芝公園(約3.78ha)が事業認可