芝久保町
町丁
多摩六都科学館
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度43分51.26秒 東経139度31分23.88秒 / 北緯35.7309056度 東経139.5233000度 / 35.7309056; 139.5233000
国 日本
都道府県 東京都
市町村 西東京市
地域 田無地域
設置年月日2001年1月21日
住居表示実施年月日1968年9月1日
面積[1]
? 合計1.35 km2
人口(2018年(平成30年)1月1日現在)[2]
? 合計19,782人
? 密度15,000人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号188-0014[3]
市外局番042[4]
ナンバープレート多摩
芝久保町(しばくぼちょう)は、東京都西東京市の町。現行行政地名は芝久保町一丁目から芝久保町五丁目。住居表示実施済み地区。郵便番号は188-0014[3]。 西東京市の西部に位置し、大部分が住宅地である。南から一丁目(一丁目のみ西武新宿線以南にある)、西武新宿線を挟んで北側に二丁目、三丁目、青梅街道を挟んで四丁目、東京街道を挟んで五丁目と並んでいる。青梅街道と東京街道の追分は通称「橋場」で、現在も橋場交差点となっており関東バスの「田無橋場」及び西武バスの「橋場」停留所がある。 北は東久留米市南町 丁目毎の面積 [1]、人口と世帯数[2]、および人口密度は以下の通りである。(2018年(平成30年)1月1日現在) 丁目面積人口世帯数人口密度備考 市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。 住宅地の地価は、2014年(平成26年)1月1日の公示地価によれば、芝久保町5-5-9の地点で22万2000円/m2となっている[6]。 江戸時代の当地域は芝久保あるいは芝窪と書かれ、大部分が元文元年に検地された新田であった[7]。文化9年絵図では柳久保新田(現在の東久留米市)・野中新田(現在の小平市)に隣接していた[7]。 明治初期に字芝久保が分割され、立川道を境として字北芝久保・字南芝久保となった[7]。 西武新宿線が一丁目と二丁目の境になっているが、町内に駅は無い。最寄り駅は田無町四丁目の田無駅、または小平市花小金井南町一丁目の花小金井駅。 青梅街道上を西武バス吉64系統が吉祥寺駅から花小金井駅を結んでいる。先述の田無橋場停留所からは関東バス鷹03系統が三鷹駅までの路線を運行する。 また、西東京市のコミュニティバスであるはなバス第4ルート(関東バス受託)が町域を運行する。2016年の改編後は北ルート(田無駅を起点に五丁目から多摩六都科学館を経由し、小平市境を通り花小金井駅まで)と、南ルート(田無駅を起点に田無庁舎、芝久保一丁目・芝久保運動場、二丁目・三丁目の西武住宅など狭い住宅地の道や青梅街道を経由して花小金井駅まで。
地理
河川
石神井川
面積と人口
男女計
芝久保町一丁目0.26km22,883 人2,873 人5,756 人2,379 世帯22,138.5 人/km2
芝久保町二丁目0.24km22,110 人2,055 人4,165 人1,945 世帯17,354.2 人/km2
芝久保町三丁目0.32km21,809 人1,769 人3,578 人1,719 世帯11,181.3 人/km2
芝久保町四丁目0.24km21,883 人1,966 人3,849 人1,718 世帯16,037.5 人/km2
芝久保町五丁目0.29km21,218 人1,216 人2,434 人1,056 世帯8,393.1 人/km2
計1.35km29,903 人9,879 人19,782 人8,817 世帯14,653.3 人/km2
小・中学校の学区
芝久保町二丁目全域西東京市立芝久保小学校
芝久保町三丁目全域
芝久保町四丁目全域西東京市立けやき小学校西東京市立田無第三中学校
芝久保町五丁目全域
地価
歴史
1879年(明治12年)5月7日 - 郡区町村編制法下で田無村が町制施行し、神奈川県北多摩郡田無町字北芝久保・字南芝久保となる。
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い田無町が単独立町。大字は設置されず、神奈川県北多摩郡田無町字北芝久保・字南芝久保のままとなる。
1893年(明治26年)4月1日 - 北多摩郡が南多摩郡・西多摩郡とともに東京府へ移管され、東京府北多摩郡田無町字北芝久保・字南芝久保となる。
1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行により、東京都北多摩郡田無町字北芝久保・字南芝久保となる。
1967年(昭和42年)
1月1日 - 田無町が市制施行し、東京都田無市字北芝久保・字南芝久保となる。
10月1日
住居表示実施に伴い、字南芝久保の一部に字上宿・字下宿・字下向台・字柳沢の各一部を合わせて南町が設置される[8]。
住居表示実施に伴い、字南芝久保の一部に字上宿・字下宿・字柳沢・字北原の各一部を合わせて本町が設置される。
住居表示実施に伴い、字北芝久保の一部に字上宿・字下宿・字西原の各一部を合わせて西原町が設置される。
1968年(昭和43年)9月1日 - 住居表示実施に伴い、田無市字南芝久保・字北芝久保の各残存部を合わせて芝久保町が設置される[9]。
2001年(平成13年)1月21日 - 田無市と保谷市の合併により、西東京市芝久保町となる。
交通
鉄道
バス
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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