良心的徴兵忌避者
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良心的兵役拒否(りょうしんてきへいえききょひ、: conscientious objection)とは、国家組織暴力装置、とりわけあらゆる形態ないしは特定の状況下の戦争に参加することや義務兵役されることを望まないこと。当人の良心に基づく信念であり、拒否した者を良心的兵役拒否者[注 1]という。「良心者」(英語 conchie コンチ)は良心的兵役拒否者 conscientious objector の短縮形[1]

良心的兵役拒否は宗教の信条に基づくものが多くを占めるが、民族トルコにおけるクルド人など)や、政治的、哲学的な背景に基づくこともある。また、政府の外交・軍事政策に反対して拒否する者もいる。

良心的兵役拒否を行う者は義務兵役年齢に達した時点で兵役忌避を申請するのがほとんどだが、軍務中や戦争中に兵役を中断して拒否する場合もある。
今日の状況

良心的兵役拒否者は、かつて、国賊、売国奴非国民脱走兵、反逆者、臆病者等々、屈辱的な言葉で罵倒・侮蔑され、死刑に処される(エホバの証人とホロコーストを参照)など、ありとあらゆる差別・抑圧・迫害を受けてきた。「死にたくない」という自然で素朴な本能的欲求に従って軍務を離脱した数多くの人間が軍法会議で死を宣告された。第二次世界大戦時に後方部隊への異動を願い出たものの、却下されて脱走を図ったアメリカ兵エディ・スロヴィク銃殺刑に処された事件はその例のひとつである。

しかし、欧米においては、数十年のうちに急激な変化がみられた。現在では良心的兵役拒否権は国際連合ヨーロッパ評議会のような国際機関では基本的人権として認知され、推奨されている。その理論的支柱となったのが基本的人権の「良心の自由」の思想であった。

良心的兵役拒否者が代替条件で市民労役を命じられている国では、徴集兵と同様、労役は社会貢献をしていると解釈されている。同時に、兵役拒否者数に上昇もみられている。ドイツでは良心を理由に兵役は拒否出来ることが法律で定められており、その代わり13ヶ月間の社会福祉活動が義務づけられる。同国では、「良心的兵役拒否者」数が2003年には兵役につく者の数を上まわり、老人介護等の社会福祉事業は、これらの民間奉仕義務 (Zivildienst) なしには成立し得ないと言われている。ドイツでは2011年に徴兵制度が廃止となったため、これからはどのようにして社会福祉事業に携わる人材を得ていくかが一つの問題となっている。

一方、多くの国々で良心的兵役拒否権に法的基盤がないのも事実である。外務省や CIA World Fact Book の資料によると、現在の地球上では、軍隊または国防のための武装組織を保有する約170か国のうち約67か国に徴兵制度が存在するが、そのうちの30カ国しか法的な対策を取っておらず、そのうちの25カ国はヨーロッパ諸国が占めている。ギリシャキプロストルコフィンランドロシアを除くヨーロッパの徴兵制度を持つ国は、多かれ少なかれ良心的兵役拒否に関する国際的指針を満たしている。

ヨーロッパ以外の多くの国、とりわけ戦闘激化地域(イスラエル / パレスチナコンゴ民主共和国など)では、現在でも良心的兵役拒否は死刑など厳罰となる例がある。イスラエルでは良心的兵役拒否は法律で認められているが、実際に審査によって許可される例は少ないとされる。良心的兵役拒否が認められずに兵役を拒否した場合、1?4週間程度の禁固刑となる例が一般的であるとされる[2]
歴史的な進展

アメリカ合衆国では第一次世界大戦で宗教的兵役拒否という言葉も生まれた。これらの背景には、教理上、戦争を否定するブレズレン(同胞派)、メノナイトクエーカー(友会、フレンド派)など「平和教会」と呼ばれる教派の存在がある。キリスト教の中では少数派の「平和教会」は、非暴力と非戦主義に関して社会に大きな貢献をした。第二次世界大戦中、全米で1万2千人が兵役を拒否し、兵役の代替業務である市民公共サービス (CPS) に従事した。そして「平和教会」を中心に、拒否者を支える全国支援会議が組織され、経費や業務の面で政府と協力して CPS の制度が実施されていた。

良心的兵役拒否の現代における思想は、「すべての者はの御前で個々の行動に対して責任を負う」というプロテスタントキリスト教信仰に起源を有している。それゆえに最初の拒否法の規定が、1900年にキリスト教のプロテスタント教国のノルウェーで紹介されたことは驚くべきことではない(デンマークスウェーデン1917年1921年に後に続いた)。続く20数年の間に、ヨーロッパの他のプロテスタント教国も徐々に信者が良心的兵役拒否をする権利を認めるようになった。カトリック教国では個人の罪や国家に対する忠誠に関わる、異なる見解ゆえに、50年を経て1963年フランスルクセンブルクで始まった。

冷戦下の欧州で、西側諸国での良心的兵役拒否者の立場は認められたが、多くの東側諸国は良心的兵役拒否を認めなかった(東ドイツソビエト連邦では制度上は良心的兵役拒否が認められていたが、良心的兵役拒否者は就職や進学などで差別を受けた)。冷戦終結後には、多くの東欧諸国が良心的兵役拒否を認めるようになった。

特殊なケースとして挙げられるのが正教会の伝統を持つギリシャである。ギリシャには伝統的に道徳的義務として国家に対する国民の不滅の忠誠と「正当防衛」がある。ギリシャは良心的兵役拒否と代替労役に関する法を有するヨーロッパの数少ない国の一つである。最近のヨーロッパで良心的兵役拒否の権利を認めたのは2003年セルビア・モンテネグロが挙げられる。

第二次世界大戦中、良心的兵役拒否は、とりわけナチス・ドイツ占領下のヨーロッパにおいて反戦レジスタンス運動の危険な形態の一つであった。日本においても、日露戦争時の牧師・矢部喜好を嚆矢として、その後、灯台社(エホバの証人)の明石順三が信者である長男の真人や伝道者の村本一生の兵役拒否に関連して特別高等警察逮捕収監され治安維持法違反で懲役10年の刑を受けた。1943年にはエスペランチストでキリスト教徒の石賀修が良心的兵役拒否を申し出た[3]。病身だった石賀は丙種合格(現役兵としては不適格)となり、1941年より兵籍にあり、年一度の点呼に出頭する義務があったが、1943年に拒否し逮捕された[3]。その留置中に兵役拒否を撤回したため、罰金50円の刑で釈放された[3]。この石賀の兵役拒否に関わったとして高良とみが憲兵の取り調べを受けたが[4]、石賀自身は憲兵隊の扱いは比較的穏やかで、迫害のようなことはなかったという[3]
各国における良心的兵役拒否
ドイツ

ドイツでは徴兵制廃止論が活発化し、2011年7月1日付けで廃止された。

良心的兵役拒否者は同期間の民間役務[注 2]と呼ばれる老人介護や障害者支援などの社会奉仕活動、または消防団や赤十字に対する6年間のボランティア活動を選択することができ、兵役拒否者が年々増加、2000年代には兵役を選択する者自体が2割に過ぎなくなっていたのである。少子化の進行による18歳人口の減少によって、「平等な負担」が貫徹できなくなったことも原因である。兵役義務は、「同年齢の男性が平等にこの義務を果たす」ことが建前である。これを防衛公平[注 3]という。兵役拒否者は、代替役務という福祉や救急などの仕事に就く。これで兵役を果たしたものとみなされる。1970年には18歳人口の40%が兵役に、25%が民間役務に就き、35%は何にも就かなかった。兵役に就く割合は減少を続け、現在2割前半に落ち込んだ。平等な負担が貫徹できず、2割しか義務を果たさないのでは、もはや「一般」兵役義務と言えない。

ヴァイツゼッカー元大統領を長とする防衛改革委員会は、3万人の基本兵役者を確保する「選択的徴兵制」を提言した。高報酬が約束された、限りなく志願制に近い構想である。当時の連邦議会では、5会派中3会派が徴兵制廃止の立場に立っていた。社民党でも、複数の州議長が兵役義務廃止を公然と主張した。

そうしたなか、連邦憲法裁判所が兵役義務を合憲とする決定を下した。33歳になる一人の兵役拒否者の事件である。旧東独ブランデンブルク州に住むこの男性は、旧東独時代に兵役拒否し、代替役務の「建設部隊」勤務も拒否した。


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