装載艇(そうさいてい)は、日本海軍の艦艇(軍艦)に搭載する小型ボート。一般には艦載艇(かんさいてい)と言われる。要目簿では装載短艇(そうさいたんてい)と表記された。
港湾設備が不十分な時代では艦艇の接岸できる岸壁の数も足りなかった。そのため入港した艦艇の多くは沖合に錨泊[1]し自艦搭載の装載艇で陸上との交通や物資の輸送を行った。その他泊地での警戒や舷外塗装での足場、艦艇同士の交通などの雑用にも使われた。また航行中はカッターを救命艇として準備した。 明治から第一次世界大戦ころまで、日本海軍の戦艦は戦闘時の使用を想定し、五十六呎艦載水雷艇を搭載していた。当初は機関としてレシプロ機関を使用しており、汽艇と呼称されることもあった。同時代において戦艦が搭載する動力つき装載艇は本形式のみであった。 1924年(大正13年)に日本海軍はメートル(米)法を採用し十七米艦載水雷艇と改称した。この頃より機関にディーゼル機関を使用した。それに伴いエンジンルームが短くなり船室が長くなるなど外見にも変化が生じた。昭和期に入ると魚雷搭載は無くなり内火艇と任務はほぼ同一となったが、第二次世界大戦にもそのまま搭載されていた。 また、同艇や後述の十七米内火艇とほぼ同一設計の艇が、廃艦となった旧式艦の艇が流用されたり新たに新造されたりする形で、二十屯交通船兼曳船などの雑役船に分類され、港湾などで多数が使用されていた。これらの艇の機関はレシプロのままであり、前部甲板上に操舵室を設けている事が多かった。また、装載艇のものよりも規格はまちまちで、実験的に試作機関を搭載した艇などもあった。 種類全長 ※当初はレシプロ機関で速力14ノット以上。その後150馬力ディーゼル機関となり速力10ノットとなった。 内火艇(ないかてい[2]、うちびてい)は石油機関を搭載した小型艇で、日本海軍は内燃機関のことを内火と呼んでいた事が由来。そのため、厳密にはそれぞれ構造が異なるものの、内火ランチや運貨艇を含む内燃機関を搭載した小型艦載艇全ての総称として使われることも多い。 主に艦艇乗組員の輸送・連絡などに使用されるが、物資輸送や武装して泊地警戒などにも使用された。また十五米内火艇は鎮守府や艦隊司令長官の専用艇(長官艇)として使われる場合もあった。 構造は艇中央部に操舵室とエンジンを備え、艇前部が兵員室、後部に士官室を備えた。士官室上部は固定天蓋であるが、12m以下の装載艇では重量低減のため天幕とされた。七米半と六米内火艇の構造は後述の内火ランチとほぼ同じである。 また、雑役船として公称番号を付与されて運用される艇も多数存在した(上記の鎮守府用長官艇など)ほか、特殊なものとして、特二式内火艇、特三式内火艇、特四式内火艇、特五式内火艇といった海軍が開発した水陸両用戦車も、その実態を秘匿するために「内火艇」と称されていた。 種類全長 ※1 ディーゼル機関150馬力の艇と、石油発動機2基160馬力の艇があった。※2 通常は80馬力x2軸、13.5ノットだが120馬力x2軸、15ノットの艇もあった。 内火ランチ(うちびらんち)は石油機関を搭載した小型艇で、兵員や物資の輸送に使われた。呼び名として前述の内火艇と厳密に区別されることは少なく、両方合わせて「内火艇」とする場合も多い。 構造は中央後ろよりにエンジンが搭載され操舵は艇前部、もしくは後端にあり、それ以外の場所を兵員や物資の搭載場所に当てた。搭載場所上部には日よけの天幕が張れるようになっていた。 種類全長
種類
艦載水雷艇
(m)全幅
(m)深さ
(m)排水量
(トン)出力
(馬力)速力
(ノット)搭載人員
(名)備考
十七米艦載水雷艇17.003.301.7023.40※※100= 五十六呎艦載水雷艇
12.7mm機銃1挺、爆雷4個搭載可
内火艇
(m)全幅
(m)深さ
(m)排水量
(トン)出力
(馬力)速力
(ノット)搭載人員
(名)備考
二十米内火艇駆潜艇型、艦艇搭載はない
十七米内火艇17.003.301.7024.40※110.510017m艦載水雷艇とほぼ同型
十五米内火艇※2※245機銃1挺、爆雷2個搭載可
十二米内火艇12.002.801.607.308010.535
十一米内火艇11.002.701.405.706010.030
十米内火艇
九米内火艇9.002.301.124.20308.025武装不可
七米半内火艇307.523武装不可
六米内火艇武装不可
内火ランチ
(m)全幅
(m)深さ
(m)排水量
(トン)出力
(馬力)速力
(ノット)搭載人員
Size:18 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef