この項目では、広島県にあった町について説明しています。他の地名については「船越町 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
船越町旗
1972年6月17日制定船越町章
1972年6月17日制定
廃止日1975年3月20日
廃止理由編入合併
船越町、矢野町 → 広島市
現在の自治体広島市
廃止時点のデータ
国 日本
地方中国地方(山陽地方)
都道府県広島県
郡安芸郡
市町村コード34303-0
面積3.25 km2
総人口14,412人
(1974年3月31日)
隣接自治体広島市、安芸郡海田町、安芸郡府中町
船越町役場
所在地広島県安芸郡船越町
船越町(ふなこしちょう)はかつて広島県安芸郡に存在した町である[1]。
1975年3月20日に安芸郡矢野町とともに広島市に編入されて消滅した。ちなみに安芸郡船越・矢野両町の編入は広島市の政令指定都市昇格(1980年4月1日)前最後の合併でもあった。現在は、政令指定都市になったことで全域安芸区になっている。船越の云われは、近代デジタルライブラリ「神武天皇聖蹟誌」を参照の事。 隣接する海田町とは、明治年間初頭に瀬野川の改修工事や鴻治新田の境界争いなど対立が生じていた[2]一方、経済的な密接さから大正年間には両町合同の商工会の結成されたほか、1939年(昭和14年)には両町合併への機運が高まるなど密接な関係にあった[3]。1955年(昭和30年)には安芸郡九ケ町村での合併が模索されるも決裂。その後、農協の合併や消防組合の結成を通じて安芸郡内の結びつきが高まったが、最終的には矢野町とともに広島市への編入を選択している。 『大日本篤農家名鑑』によれば、船越村の篤農家は「山内豊三郎、白倉義哉、上田榮太郎」などがいた[4]。
沿革
1889年4月1日 - 市町村制施行。船越町域には安芸郡船越村が存在した。
1928年11月1日 - 船越村が町制施行して船越町になる。
1975年3月20日 - 安芸郡矢野町とともに広島市に編入される。
近隣市町村との関係
経済
産業
農業
店・企業
JSW日本製鋼所広島製作所 - 南部(現在の安芸区船越南)にある。戦後まもなく間では日本製鋼所に従事する人々が多く住み、合併前は県内でも一番小さな町で人口密度も県下一番の町だった。
ロイヤルコーポレーション - 現在の安芸区船越南に所在。自動車学校などを運営する企業。広島クレーン学校が1975年、ロイヤルドライビングスクール広島校が広島市合併後の1985年開校。
広島日野自動車 - 1945年(昭和20年)11月に新日本自動車として創業。その後1959年(昭和34年)12月に広島市南区松川町、 1985年(昭和60年)11月安芸郡坂町に移転後、 2018年(平成30年)4月に再び安芸区船越に移転[5]。
商工業
檜山袖四郎(土木)[6]
市場
広島市中央卸売市場東部市場 - 広島市合併直前の1974年開場。
地理
船越峠 - 安芸郡府中町との旧街道の境に位置し、新垰(しんたお)と云う。旧峠は人一人が通れるぐらいの道であり、現船越峠の南に位置し戦後の宅地造成で面影は無い。
祠(ほこら) - 旧街道沿いの山側に沿って、10箇所あまりの祠がある。これは、旧海岸線だと言われている。
隣接していた地区
北側 - 安芸郡府中町(現在の柳ヶ丘など)。