船舶司令部
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1938年10月、当時の第1船舶輸送司令部隷下の第1揚陸団に属し日中戦争のバイアス湾上陸作戦従軍中の帝国陸軍船舶部隊の特種船神州丸(神洲丸)」。上陸用舟艇母船(揚陸艦)である本船は船尾ハッチ等から大発小発を発進ないし収容中。後部甲板には装甲艇ないし高速艇甲が搭載されている

船舶司令部(せんぱくしれいぶ)は、戦時における軍隊・物資等の船舶輸送を指揮統率した大日本帝国陸軍の組織。帝国陸軍における軍隊符号は「SeC」。

船舶司令部が統括した陸軍船舶部隊は、各隊に与えられていた通称号の兵団文字符」から「暁部隊」と通称された。目次

1 概要

1.1 原爆投下と船舶司令部・暁部隊


2 沿革

3 歴代司令官

4 司令部構成

5 隷下部隊

5.1 船舶輸送司令官隷下

5.2 船舶司令官隷下

5.2.1 船舶兵団

5.2.2 教育船舶兵団司令部

5.2.3 第1船舶輸送司令部

5.2.4 第2船舶輸送司令部

5.2.5 第3船舶輸送司令部

5.2.6 第4船舶輸送司令部

5.2.7 第5船舶輸送司令部

5.2.8 陸軍船舶練習部

5.2.9 船舶砲兵団司令部

5.2.10 野戦船舶本廠



6 脚注

7 参考文献

8 関連項目

概要

平時における陸軍の船舶および鉄道による輸送を担当する官衙たる陸軍運輸部は、1904年明治37年)4月に台湾陸軍補給廠を改編して設置された[1]

日中戦争支那事変)開戦に伴い1937年昭和12年)8月、第1船舶輸送司令部が動員され、司令部広島県宇品に置いた。同司令官を運輸部長が兼務し、運輸部が平時の業務を、第1船舶輸送司令部が戦時の業務を担当した。

1940年(昭和15年)6月、第1船舶輸送司令部が復員し、船舶輸送司令部を臨時編成[2]、支部を大泊小樽東京新潟敦賀大阪神戸門司釜山羅津大連高雄の12箇所に設置。同司令官は引き続き運輸部長が兼務した。

太平洋戦争大東亜戦争)突入後の1942年(昭和17年)7月、船舶輸送司令部を司令部と同格の組織である船舶司令部に改編した。また、船舶部隊の改編も行われ、第1船舶輸送司令部(大本営直轄船舶の輸送、内地・台湾・朝鮮方面)、第2船舶輸送司令部(中国方面)、第3船舶輸送司令部(南方方面)、および上陸作戦部隊を統一した組織として船舶兵団を新たに編成した[3]。同年11月、ソロモン諸島ニューギニア島方面の戦況に対応するため第4船舶輸送司令部を編成。

1943年(昭和18年)12月、アメリカ軍のニューギニア・オーストラリア方面への進出に対応するため第5船舶輸送司令部が編成されたが、半年後にはアリューシャン列島方面の戦況悪化のため北海道に転用され、第3船舶輸送司令部がその後の任務を継承した。さらに1945年(昭和20年)1月、台湾・沖縄方面を対応する第7船舶輸送司令部を編成[4]

大戦末期の1945年(昭和20年)5月には、新設された大本営海運総監部が全船舶を国家船舶として一括管理することになり、陸軍・海軍軍需省運輸通信省海運総局、船舶運営会の実務者が宇品に集められた。これに伴い陸海軍の徴用船は6月に原則として徴用解除され、100トン以上の全ての汽船が国家指定船となった。制度としては野村直邦海運総監が国家指定船の運用について指示権を持っていたが、実務的には船舶司令官の指揮下で国家指定船の統一運用が行われた[5]。終戦時にはアメリカ軍の飢餓作戦などにより日本の海運は壊滅状態であった。

陸軍船舶部隊における、ラテン文字からなる軍隊符号中の略字は「船舶」を示す「Se」を冠し、船舶司令部が「SeC」、船舶輸送司令部が「SeU」、船舶兵団司令部が「SeH」、船舶団司令部が「SeD」、揚陸隊が「SeY」、船舶工兵連隊が「SeP」、船舶通信連隊が「SeTL」、船舶砲兵連隊が「SeA」、船舶衛生隊本部が「SeE」等[6]


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