船橋洋一
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船橋 洋一
(ふなばし よういち)
2012年1月26日
世界経済フォーラム年次総会にて
生誕 (1944-12-15) 1944年12月15日(79歳)
中華民国 北京市
国籍 日本
教育東京大学教養学部卒業
職業新聞記者
評論家
コラムニスト
活動期間1968年 -
肩書き博士(法学)1992年
国際文化会館グローバル・カウンシル チェアマン
英国国際戦略研究所評議員
受賞サントリー学芸賞(1983年)
ボーン・上田記念国際記者賞(1986年)
吉野作造賞(1988年)
石橋湛山賞(1992年)
日本記者クラブ賞(1994年)
アジア太平洋賞大賞(1996年)
新潮学芸賞(1998年)
大宅壮一ノンフィクション賞(2013年)
文藝春秋読者賞(2017年)
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船橋 洋一(ふなばし よういち、1944年12月15日 - ) は、日本ジャーナリスト評論家朝日新聞社中国特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、特別編集委員コラムニストを経て主筆を務めた。国際文化会館グローバル・カウンシル チェアマン。英国国際戦略研究所評議員。博士(法学)慶應義塾大学)。
経歴

中華民国北京生まれ。灘中学校・高等学校を経て、1968年東京大学教養学部卒業

大学卒業後の1968年昭和43年)、朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、経済部次長、経済部編集委員アメリカ総局長を経て、特別編集委員・コラムニストに就任。この間、1975年にはハーバード大学、1987年には国際経済研究所(Institute for International Economics、ワシントンD.C.)、2003年にはコロンビア大学、2005年にはブルッキングス研究所において、それぞれ客員研究員を務めた。

1992年博士(法学)慶應義塾大学)。博士論文は「ドル管理の国際政治 -プラザ合意からルーブル合意に至る五カ国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)の経済政策協調の分析-」。

2007年平成19年)6月26日、秋山耿太郎が社長のときに同社主筆に就任[† 1]。この異例の人事については、政治部と経済部の社内力学が背景にあるとみられたが、秋山執行部がアメリカのビル・クリントン政権などの要請を受けてのこととする見方もある[要出典]。

2008年10月から特別紙面として本紙面への挿入が始まった朝日新聞グローブの創刊に木村伊量とともに関わった。船橋は『トランスフォーメーション』、『ブレイクスルー』という言葉を好んで用い[1]、朝日新聞グローブのキャッチコピーには ブレイクスルー・ジャパン! が採用された[2](現在、理事長を務めるアジア・パシフィック・イニシアティブのホームページ冒頭の動画でもブレイクスルーを強調している[3])。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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