船戸与一
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船戸 与一
(ふなど よいち)
ペンネーム船戸 与一(ふなど よいち)
誕生原田 建司(はらだ けんじ)
1944年2月8日
山口県下関市
死没 (2015-04-22) 2015年4月22日(71歳没)
東京都杉並区[1]
職業小説家漫画原作者
言語日本語
国籍 日本
教育学士(法学)
最終学歴早稲田大学法学部卒業
活動期間1979年 - 2015年
ジャンル冒険小説
代表作『山猫の夏』(1985年)
『伝説なき地』(1989年)
砂のクロニクル』(1992年)
『虹の谷の五月』(2000年)
主な受賞歴日本冒険小説協会大賞(1985年,1988年,1989年,1992年,1996年,2004年)
吉川英治文学新人賞(1985年)
日本推理作家協会賞(1989年)
山本周五郎賞(1992年)
直木三十五賞(2000年)
デビュー作『非合法員』(1979年)
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船戸 与一(ふなど よいち、1944年2月8日 - 2015年4月22日)は、日本小説家。本名:原田 建司(はらだ けんじ)[2]
人物

山口県下関市生まれ[3]山口県立下関西高等学校[3]早稲田大学法学部卒業[2]

小学館祥伝社などの出版社勤務を経てフリーになり、執筆活動を始める。1979年『非合法員』(講談社)で冒険小説家としてデビュー[2]

他に豊浦 志朗の筆名で『叛アメリカ史』などのルポルタージュ[4]、外浦 吾朗の筆名で『ゴルゴ13』、『メロス』の劇画原作も著している。なお、「船戸」「豊浦」「外浦」はいずれも出身地である山口県の地名。

1983年、日本冒険作家クラブの創設の発起人の一人となる。

2015年4月22日胸腺癌のため死去。71歳没[5]。闘病生活を続けながら執筆した長編『満州国演義』シリーズの完結をもって絶筆となった[6]
エピソード
早稲田大学探検部

早稲田大学在学中は探検部(第三期生)に所属した[7]。先輩には西木正明、後輩には高野秀行がいる[8]。アラスカのエスキモーを訪問し[9]、本名で共著『アラスカ・エスキモー』を刊行した。

1997年に発生したペルー早稲田大学探検部員殺害事件では、同事件で被害者に対してコメントした橋本龍太郎に対して反発。探検部OB会有志47人の連名で、「内閣総理大臣・橋本龍太郎にたいする糾弾文」(原文ママ)と題し、「内閣総理大臣を辞職せよ」と迫る文章を1998年1月26日発売の『週刊ポスト』183ページに意見広告として掲載した[10]
デビューのきっかけ

1975年8月、当時『週刊ポスト』のアンカーを務めていた宮原安春の仲介で、編集者の白川充と知り合い、『叛アメリカ史』を書いた豊浦と同一人物だと知った彼に小説を書くよう口説かれた。初めは社交辞令だと考えていたが、1年後に白川から催促され、ようやく本気になり100枚の作品を書いて渡した。これを読んだ白川は、最初から大流血の描写に面食らい、失敗したかと思ったという。しかし、それがデビュー作『非合法員』の冒頭の原型となった[11]
文学賞受賞歴

1985年 - 『山猫の夏』で第3回日本冒険小説協会大賞(国内部門)、第6回吉川英治文学新人賞[12]

1988年 - 『猛き箱舟』で第6回日本冒険小説協会大賞(国内部門)。

1989年 - 『伝説なき地』で第7回日本冒険小説協会大賞(国内部門)、第42回日本推理作家協会賞(長編部門)[13]

1992年 - 『砂のクロニクル』で第10回日本冒険小説協会大賞(国内部門)、第5回山本周五郎賞[14]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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