船引き
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20世紀初頭のヴォルガ川船引き

船引き(ふなひき)またはブルラーク(ロシア語: Бурлак、英語: Burlak)、ドイツ語: Treideln)とは、川を下った船やはしけを上流へ戻すために、陸地から綱などで引いて歩くこと、または引く人たちのこと[1]ロシアではヴォルガ川を遡る時に大規模に行われた。中国でも長江嘉陵江などで行われ、また日本でも急流を遡る時などに行われた。
ロシア

ロシアではヴォルガ川が古くから交通の要であり、機動船が大勢を占めるまでは、船引きがよく利用された。
ヴォルガの船引き歌.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}.mw-parser-output .listen .side-box-text{line-height:1.1em}.mw-parser-output .listen-plain{border:none;background:transparent}.mw-parser-output .listen-embedded{width:100%;margin:0;border-width:1px 0 0 0;background:transparent}.mw-parser-output .listen-header{padding:2px}.mw-parser-output .listen-embedded .listen-header{padding:2px 0}.mw-parser-output .listen-file-header{padding:4px 0}.mw-parser-output .listen .description{padding-top:2px}.mw-parser-output .listen .mw-tmh-player{max-width:100%}@media(max-width:719px){.mw-parser-output .listen{clear:both}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .listen:not(.listen-noimage){width:320px}.mw-parser-output .listen-left{overflow:visible;float:left}.mw-parser-output .listen-center{float:none;margin-left:auto;margin-right:auto}}Эй, ухнем / The Song of the Volga Boatmen(エイ・ウ・フニエム!/ヴォルガの船引き歌)1902 record by Feodor Chaliapin(フョードル・シャリアピンの1902年レコード)この音声や映像がうまく視聴できない場合は、Help:音声・動画の再生をご覧ください。詳細は「ヴォルガの舟歌」を参照

ヴォルガ川の船引きを歌った歌には民謡ヴォルガの船引き歌」、別名「ヴォルガの舟唄」があり、これは五人組ミリイ・バラキレフ採譜して、1866年に彼の民謡集で発表したものである。「エイ・ウーフニェム」で始まる歌詞の全部と英語訳は英語版にある。音域がベースの基調で歌われる場合が多く、日本でも古くはフョードル・シャリアピンポール・ロブスンの歌、近くはダーク・ダックスなどの歌でおなじみである。歌詞の日本語訳は堀内敬三門馬直衛などのものがある。 [2]
ヴォルガの船引き画『ヴォルガの船引き』(イリヤ・レーピン画、1870年 - 1873年、ロシア美術館)「ヴォルガの船曳き」も参照ヴォルガ川の船引きの女性

何人かの画家がヴォルガ川の船引きについて描いているが、イリヤ・レーピンが描いた『ヴォルガの船引き』(1870年 - 1873年、サンクトペテルブルク国立ロシア美術館所蔵)が特に有名である[3]。レーピンが国内旅行で見た民衆の苦労と誇りが如実に現れていて、サンクトペテルブルクの官製美術界に対抗した「移動派」の代表作のひとつと言われる。発表されるとすぐにウラジーミル・アレクサンドロヴィチ大公に買われてヨーロッパ中で展示されて有名になり、レーピンが画家として世に出る契機となった。
中国

中国では長江嘉陵江などで、かつて船引きが行われていた。最近は「長江三峡船引き人夫文化祭」(湖北省恩施トゥチャ族ミャオ族自治州巴東県)など観光化した行事も行われている。 [4] [5]
日本

日本でも舟運が盛んだった長良川などで、船を引っ張る人が活躍する場所があった。 [6]
ドイツ運河で船を曳く女性(オランダ)船曳きの像(ドイツ)

ライン川に蒸気船が登場したのは、1816年のことであるが、蒸気船の運行が一般化するまで船が川を遡るには、川沿いに設けられた道、「船引き道」(ドイツ語でトライデルプファート:Treidelpfadないしトライデルヴェーク:Treidelweg)を通って、人あるいは馬が、船の帆柱から張られたロープを曳かねばならなかった。最初のうちは、土地の農民が臨時にその仕事を果たしていたが、後に船引きを専門とする人々が現れ、組合が結成され、組合の規定が定められた。18世紀の規定が現存する。1636年 イングランド王 チャールズ1世はThomas Howardをプラハに向けて派遣したが、一行の旅の記録によると、全長26 mの船をケルンからドラッフェンフェルス(Drachenfels)まで8?9頭の馬が曳いたと記されている[7]


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