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般若寺
コスモスと本堂
所在地奈良県奈良市般若寺町221
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度42分0.22秒 東経135度50分10.38秒 / 北緯34.7000611度 東経135.8362167度 / 34.7000611; 135.8362167
般若寺(はんにゃじ)は、奈良県奈良市般若寺町にある真言律宗の寺院。山号は法性山。本尊は文殊菩薩。コスモス寺の名で知られる。 般若寺は東大寺大仏殿や正倉院の北方、奈良坂と呼ばれる登り坂を登りきった地点に位置する。般若寺楼門前を南北に通る道は「京街道」と呼ばれ、大和国(奈良県)と山城国(京都府)を結ぶ、古代以来重要な道であった。この道はまた、平城京の東端を南北に通っていた東七坊大路(東大寺と興福寺の境をなす)の延長でもある。 般若寺の創建事情や時期については正史に記載がなく、創立者についても諸説あり、正確なところは不明である。ただし、般若寺の境内からは奈良時代の古瓦が出土しており、奈良時代からこの地に寺院が存在していたことは確かである。 寺伝では舒明天皇元年(629年)、高句麗の僧・慧灌の創建とされ、天平7年(735年)、聖武天皇が伽藍を建立し、十三重石塔を建てて天皇自筆の大般若経を安置したというが、これらを裏付ける史料はない。 別の伝承では白雉5年(654年)、蘇我日向が孝徳天皇の病気平癒のため創建したともいう(『上宮聖徳法王帝説』裏書)。 鎌倉時代の文永4年(1267年)、当時の本尊・文殊菩薩像を開眼供養した際の願文(がんもん)では、「般若寺は聖武天皇が創建し、平安時代に僧観賢によって再興された」とする説を採用している。しかし、観賢(854年 – 925年)が関与した「般若寺」は山城国(現・京都市右京区 ⇒鳴滝般若寺町)にあった寺であり、上記の説は同名別寺院を混同したものである。この、観賢再興説が誤りであるという点は、すでに江戸時代・享保20年(1735年)刊の『奈良坊目拙解』(村井古道著)で指摘されている。 信頼できる史料における「般若寺」の初出は、天平14年(742年)10月3日付の「金光明寺写経所牒」(正倉院文書)であるとされている。ただし、これについても、今の奈良県香芝市にあった片岡寺 その後平安時代末頃までの歴史はあまり明らかでない。治承4年(1180年)、平重衡による南都焼討の際には、東大寺、興福寺などとともに般若寺も焼け落ち、その後しばらくは廃寺同然となっていたようである。 廃寺同然となっていた般若寺は、鎌倉時代に入って再興が進められた。寺のシンボルとも言える十三重石塔は僧・良恵
歴史
創建
鎌倉時代