航空集団
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この項目では、海上自衛隊の航空集団について説明しています。1957年(昭和32年)から1958年(昭和33年)に航空自衛隊に置かれていた部隊については「航空総隊」をご覧ください。

航空集団
Fleet Air Force

創設1961年(昭和36年)9月1日
所属政体 日本
所属組織 海上自衛隊
兵種/任務/特性航空部隊
人員約11,000人
所在地司令部:厚木航空基地
上級単位自衛艦隊
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航空集団(こうくうしゅうだん、英称:Fleet Air Force)は、日本海上自衛隊自衛艦隊に属するタイプ管理部隊の一つで、哨戒機や哨戒ヘリコプターを中核とする航空部隊である。諸外国の海軍航空隊に相当する。
概要富士山上空を飛行する哨戒機P-1

航空集団司令部厚木航空基地神奈川県綾瀬市無番地)におかれており、隷下部隊は航空群(航空群司令部・航空隊・整備補給隊・航空基地隊)を主体とする。航空集団司令官は海将をもって充てられている[1]。航空集団司令官は、専らフォースプロバイダ(練度管理責任者)として隷下の航空部隊の練度管理を行い、有事における航空部隊の運用を行うフォースユーザー(事態対処責任者)たる自衛艦隊司令官や各地方総監に隷下部隊を提供する役目を担っている[2]

隷下の部隊は日本の領海および排他的経済水域内において哨戒機による航路上の哨戒や不審船の監視等を行っている。また、救難飛行艇や救難ヘリコプターにより洋上救難等の任務も行っている。その他、掃海ヘリコプターや輸送機の部隊も属している。 

なお、操縦士戦術航空士および航空士の養成は航空集団ではなく、防衛大臣直轄の教育航空集団で行われる。
沿革航空集団60周年ロゴマーク航空集団創設60周年を記念した航空集団所属の全機種によるエレファントウォーク(2021年11月3日)

1961年(昭和36年)9月1日自衛艦隊隷下に「航空集団」を新編。
※ 「鹿屋航空隊」が「第1航空群」に、「八戸航空隊」が「第2航空群」に、「徳島航空隊」が「第3航空群」に、「館山航空隊」が「第21航空群」にそれぞれ改編し、隷下に編入。※ 新編時の航空集団の編成

司令部:下総航空基地

第1航空群(司令部・第1航空隊・第3航空隊・第1支援整備隊・鹿屋航空基地隊)

第2航空群(司令部・第2航空隊・第13航空隊・第51航空隊・第2支援整備隊・八戸航空基地隊)

第3航空群(司令部・第11航空隊・第12航空隊・第3支援整備隊・徳島航空基地隊)

第21航空群(司令部・第101航空隊・第21支援整備隊・館山航空基地隊)


1962年(昭和37年)9月1日下総航空基地に「第4航空群」を新編。

1969年(昭和44年)7月29日:「第51航空隊」が第4航空群から航空集団直轄へ編成替え。

1971年(昭和46年)12月20日:航空集団直轄の「第61航空隊」を新編。

1972年(昭和47年)

7月16日沖縄返還に伴い、航空集団直轄の「臨時沖縄航空派遣隊」を新編。

12月21日:「臨時沖縄航空派遣隊」が廃止、「臨時沖縄航空隊」を新編。


1973年(昭和48年)3月1日岩国航空基地に「第31航空群」を新編。「第3航空群」が廃止。

1973年(昭和48年)

10月16日:「臨時沖縄航空隊」が廃止。航空集団直轄[3]の「沖縄航空隊」を新編。厚木航空基地に「航空管制隊」を新編。

12月25日:航空集団司令部と第4航空群が下総航空基地から厚木航空基地に移転。


1974年(昭和49年)2月16日:下総航空基地に航空集団直轄の「第111航空隊」を新編。

1977年(昭和52年)12月27日:八戸航空基地に「航空施設隊」を新編。

1981年(昭和56年)

7月15日:「沖縄航空隊」が廃止。「第5航空群」を新編。

10月31日:第51航空隊が厚木航空基地に移転。


1987年(昭和62年)12月1日大村航空基地に「第22航空群」を新編。

1989年(平成元年)9月1日:第111航空隊が岩国航空基地に移転。

1998年(平成10年)12月8日:補給整備部門の組織改編。

鹿屋工作所が「第1航空修理隊」に、八戸工作所が「第2航空修理隊」に改編され航空集団隷下に編入。

各航空群隷下の支援整備隊と航空基地隊補給隊(硫黄島補給隊を除く)を統合し、整備補給隊に改編。


2001年(平成13年)6月27日:「航空施設隊」が廃止。「機動施設隊」を新編。

2008年(平成20年)3月26日:体制移行による航空部隊の大改編。

固定翼哨戒機航空隊は8個隊を4個隊に改編。

回転翼哨戒機航空隊は地方隊隷下の大湊、小松島、大村各航空隊を編入し、9個隊を5個隊に改編。

回転翼救難飛行隊は教育航空集団隷下の救難飛行隊を含めた7個隊を6個隊に改編。


2018年(平成30年)4月2日:救難飛行隊の改編。

第21航空群隷下の第73航空隊が廃止となり、第21航空隊に第213飛行隊及び硫黄島航空分遣隊が新編。

第22航空群隷下の第72航空隊が廃止となり、第22航空隊に第224飛行隊及び鹿屋航空分遣隊が新編。


2020年(令和02年)10月1日:部隊改編に伴い、第31航空群隷下の第81航空隊と第91航空隊を統合し、第81航空隊を再編[4][5]

2021年(令和03年)9月1日:創設60周年を迎える[6]

2022年(令和04年)

2月14日:大村航空基地所在の第22航空隊が保有するUH-60Jが除籍され、第224飛行隊が廃止[7]

4月1日:館山航空基地所在の第21航空隊が保有するUH-60Jが除籍され、第213飛行隊が廃止[8]


2023年(令和05年)1月16日:第22航空群が保有するUH-60Jが除籍され、鹿屋航空分遣隊が廃止[9][10]

2024年(令和06年)3月21日:第2航空修理隊を廃止[11]

部隊編成

航空集団司令部(
厚木航空基地

第1航空群鹿屋航空基地):哨戒機P-3CP-1 約11機

第1航空隊


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