航空機関砲
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航空機関砲(こうくうきかんほう)は、航空機に搭載される機関砲。また本項では、同様に使用する機関銃についても述べる。
概史
黎明期カーチスとフィッケル少尉

1903年ライトフライヤー号の初飛行に続いて各国で有人動力飛行機の研究が活発化する中、軍事利用も模索されており、1910年8月20日には早くもグレン・カーチスが操縦する飛行機に射手(フィッケル少尉)を同乗させて、地上の目標への小銃射撃をデモンストレーションした[1]。また1911年6月7日には、開発直後のルイス軽機関銃を機上に持ち込んで、地上目標への射撃のデモンストレーションも行われた[1]

これらはあくまで実験・冒険的な試みにとどまっており、1914年第一次世界大戦が勃発した時点では、まだ飛行機は戦う兵器にまでは育っていなかった[1]。用途も偵察や連絡がせいぜいで、空中で敵機と遭遇しても手を振って別れたという挿話があるほどであったが、まもなくパイロットが自衛用を兼ねて拳銃を携行したり、偵察員が小銃を持ち込むなど、戦闘に直接関与するようになっていった[1]
航空機銃の誕生

1914年8月22日、イギリス軍のストレンジ中尉たちが独断でルイス軽機関銃を機上に持ち込み、遭遇したドイツ軍のアルバトロス偵察機に対し射撃した[1]。距離が遠く有効弾は得られなかったものの、これが空中で敵機に向けて機関銃が発射された初の記録であった[1]。まもなく機関銃の搭載が正式に開始され、イギリス軍ではルイス軽機関銃、またフランス軍ではオチキスまたはベネット=メルシェ軽機関銃を採用した[1]

機体への装備方法は試行錯誤が重ねられた[1]。黎明期にわずかに用いられていた推進式の機体ならともかく、当時既に主流になっていた牽引式の機体にそのまま機銃を装備すると、その射線がプロペラと干渉するという問題があり、最初期にはフォスター銃架などを用いて複葉機の上翼に装備することで、射線を上方にずらすことが試みられたが、実用性に問題があった[1]。このことから、機銃の発射をプロペラの回転と同期させることで銃弾がプロペラに当たらないようにすることが試みられるようになり、1915年にはフランス軍のローラン・ギャロスが知り合いの発動機技術者と協力してある程度実用的なシステムを構築、愛機のモラーヌ・ソルニエ Lに搭載した[1][2]

この同期装置 (Synchronization gear) では機銃カムをエンジンにつけることで、プロペラの羽根が銃口の前にあるときに撃発するようにして、弾丸がプロペラの回転面まで飛翔したときには既にプロペラがその位置から移動するようにしたものであった[1]。ただし同期がわずかにずれて弾丸がプロペラに当たる可能性があったため、プロペラに鋼製のプロテクターを装着して実験し、全弾の2パーセントがプロペラに当たるものの、跳弾は安全な方向になることを確認した[1]。この同期装置を装着したギャロス機は同年4月1日に初戦果を挙げたものの、19日にはエンジン不調で戦線のドイツ側に不時着、機体の破壊が不十分なままで捕虜となり、同期装置もドイツ軍の手に落ちた[1]。ドイツのアントニー・フォッカーは直ちに同期装置の開発に着手、1912年にスイスのフランツ・シュナイダーが同種の装置を売り込んでいたこともあって、48時間で装置の設計を完了し、MG08/15機関銃とともに搭載を開始した[1]


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