航空戦艦
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出典検索?: "航空戦艦" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年8月)

航空戦艦(こうくうせんかん、en:Battlecarrier)とは、戦艦としての大口径砲を装備し、かつ航空母艦又は水上機母艦に準じた航空機運用能力を有する軍艦の通称である。

世界の建艦史上に当初から航空戦艦として建造された艦は存在せず、公式な艦種として存在したこともない。また、竣工・実戦投入された唯一の例である伊勢型戦艦戦艦からの改装であり[注 1]、日本海軍の艦艇類別等級においては「戦艦」のままであった。

なお、同様に巡洋艦としての火砲を装備し、かつ航空母艦又は水上機母艦に準ずる航空機運用能力を有する軍艦の通称として航空巡洋艦と呼ばれるものもある[注 2]。これについても当項目で併せて記述する。「#航空巡洋艦」の節参照
概要

この節には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2014年12月)

20世紀初頭から半ばにかけての海軍戦力の中核は、大口径の砲とそれに耐えうる装甲を備えた戦艦であったが、第一次世界大戦における航空母艦の誕生とその後の航空機の発展により、「戦艦の砲撃力と空母の航空運用力を併せ持てば、万能艦となるのではないか?」という発想が各国の海軍関係者や造艦技術者に産まれることになった。

当時の艦載機は実用化されて間もなく、その可能性に大いに期待が寄せられていた反面、航続距離が短く兵器搭載量が僅かだったり、天候による運用上の制約が大きい等の理由で、艦隊兵力としての信頼性が低かった。空母も誕生間もない艦種で運用法が定まっていなかった。海軍の主力であった大艦巨砲と艦載機の組み合わせは大変魅力的であり、各国海軍で様々な運用法を模索する過程で、戦艦と空母を組み合わせた航空戦艦というアイデアが生まれてきたと考えられる。実際に第二次世界大戦前の各国海軍では航空戦艦の設計や提案は多くなされており、実現寸前までいったものもある。

しかし結局のところ新造艦としての航空戦艦は一隻も実現していない。ワシントン海軍軍縮条約において、空母の備砲の制限がなされたからである。ワシントン海軍軍縮条約の主目的は戦艦の新造禁止であったが、航空戦艦のアイディアにより空母の名目で戦艦に匹敵する砲力の艦を建造するという「抜け道」となる事が懸念された為である。条約を締結していない国に対して航空戦艦の提案がなされた事があるが、軍縮条約に参加していない国のほとんどが工業力自体が未熟であり、それらの国では航空戦艦に限らず巡洋艦を越えるサイズの艦の建造すら着手できなかった。更に条約の失効後に於いても航空戦艦の提案はなされたが、その頃には既に空母の運用の経験が蓄積され、純然たる戦艦及び空母の建造?運用が実用的であるとの結論に至ったものと推察される。

なお、特に“航空戦艦”と称されていなくても、大型の戦艦では多数の水上機搭載・運用能力を持つものもある。例えば大和型戦艦には、船体後部、第三主砲塔から艦尾にかけての最上甲板の下に、上甲板と中甲板の二層にまたがる飛行機格納庫が設けられている[3]。格納庫に零式水上観測機を通常6機(最大8機)収容できた[注 3]。水上偵察機瑞雲もしくは艦上爆撃機彗星なら6機である[4]。露天繋止を合わせると、更に多くの水上機を搭載できた[注 4]。だが特に「航空戦艦」とは分類はされておらず、そう形容されたこともない。最終時の大和第一航空戦隊に編入されている。

第二次世界大戦後、航空機・ミサイルが海戦の主戦力となった現在、航空機運用能力と強力な固定武装の双方を備えた艦として、ソ連は1143号「クレーチェト」計画重航空巡洋艦・「アドミラル・クズネツォフ」を建造している。これらの艦は現代の航空戦艦と言えない事もない。しかしながらこれらの艦種名はモントルー条約に対しての政治的処置として、「重航空巡洋艦("Тяжёлый Авианесущий Крейсер (ТАВКР, ТАКР) / Tyazholiy Avionosnyy Kreyser (TAVKR, TAKR)")」となっている(詳細は後述「#第二次世界大戦以降」にて)。
各国の計画した航空戦艦
日本

太平洋戦争時、航空母艦の重要性が高まるなか、ミッドウェー海戦において正規空母4隻を失った大日本帝国海軍はそれを補完するためのさまざまな方策を模索した。その一つが既存の艦艇の空母への改装である。大和型戦艦を除く全ての巡洋艦以上の艦艇について改装が検討された。

金剛型戦艦機動部隊への随伴に最適である高速戦艦で、これを改装することは望ましくなかった。また、長門型戦艦は艦隊決戦では大和型に次ぐ威力を発揮すると期待されたため除外された。扶桑型戦艦伊勢型戦艦はあらゆる面で他国新鋭戦艦群に劣っていることから最有力候補となり、当時伊勢型2番艦「日向」が5番砲塔を事故で失っていたことなどから、伊勢型の2隻(「伊勢」・「日向」)の空母への改装が決定した。

しかし戦局の悪化に伴う資材不足や工業力の低下などにより、改装には5-6ヶ月程度かかると予測され(一説には1年-1年半)、その間工廠の能力の多くを占有することによる他の艦艇の整備や修理への悪影響、また早急に戦列に復帰させる必要性などから、本格的な空母への改装は見送られた。船体後部を改装された状態の伊勢の図版

当初は船体中部から後部の主砲塔4基を撤去し煙突以後を射出甲板にする案もあったが、工期と資材面で断念され、実際の改装は船体後部の5・6番砲塔を撤去し、格納庫と射出甲板を設けることで航空機22機の搭載を可能とした。当初は搭載機として彗星艦上爆撃機が予定されており、カタパルトによる射出にて発艦、攻撃終了後は近隣の航空母艦又は陸上基地に帰投することとなっていた。後に爆撃も可能な水上偵察機であった瑞雲も搭載することになり、瑞雲の場合カタパルトで射出する点は彗星と同様だったが、水上機である特性から海上に着水させ、それをクレーンで甲板に吊り上げて回収することも可能となった。

しかし、搭載すべき艦載機の生産の遅れや台湾沖航空戦での搭載予定の機体の消耗などにより、続くレイテ沖海戦では搭載機無しで海戦に参加するなど、航空戦艦として実際に運用されることは無かった。しかし、レイテ沖海戦後の北号作戦では、その飛行機格納庫が物資積載場所として利用された。戦争末期のアメリカ海軍による呉軍港空襲によって2隻とも大破着底の損害を受け[5]、終戦後解体された。
イギリス

1926年ヴィッカース社の軍艦設計部長であったジョージ・サーストン(英語版)卿がブラッセイ海軍年鑑で複数の案を発表している[6]。サーストン卿はこれに先立つ1923年にもブラッセイ海軍年鑑において“飛行甲板を持つ戦艦”を提唱しており、この1926年案はその際のものを発展させたものである。

前半部分に複数基の主砲塔を搭載、その直後から後部までを飛行甲板と格納庫とし、アイランド形式の艦橋を右舷に設けるレイアウトだった。当時はワシントン海軍軍縮条約下であったため、非条約加盟国向けの提案であったが、どこの国にも採用されることはなかった。

第二次世界大戦中においても、 ライオン級戦艦を元にサーストン卿の案による航空戦艦が計画されたものの、そもそものライオン級戦艦自体が未成であったために単なる机上の案に終わっている。


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