学校法人日本航空学園が運営する私立専門学校「日本航空大学校」あるいは国土交通省の研修施設の「航空保安大学校」とは異なります。
航空大学校
Civil Aviation College
帯広分校で使用されているビーチクラフトA36帯広分校で使用されていたビーチクラフトA36
大学校設置1954年
大学校種別省庁大学校
設置者独立行政法人航空大学校
理事長井戸川眞
航空大学校(こうくうだいがっこう、Civil Aviation College)は、固定翼機のパイロットを養成する省庁大学校である。略称は『航空大』[注釈 1] または『航大』。 第二次世界大戦前には航空会社による養成学校があったが、1916年8月に開校した東京航空輸送社の日本飛行学校は入学金は600円(当時は新築の家が二軒建てられた金額)と非常に高額で工面出来る者は少なく[注釈 2]、学校の経営も安定しないため人材供給が不安定であった[注釈 3]。このため1938年には逓信省が民間機のパイロットを養成するため実業学校相当の航空機乗員養成所を設立した。ここでは全寮制で生活費・学費は無料だが教官は予備役の軍人が務め、軍隊式の生活で卒業後は陸軍や海軍の航空部隊に入隊して予備下士官として任官するなど、軍学校としての要素が強く、第二次大戦勃発により多くの卒業生がパイロットとして徴兵された。 敗戦により民間航空が禁止され航空機乗員養成所も廃止されたため、パイロットの養成は途絶えることになる。1954年に再開された後も民間パイロットの養成は途絶えたままだったため人材は元軍人と外国人に頼っていた。このため国主導で日本人パイロットを養成すべく1954年に運輸省の附属機関(のちに施設等機関となる)として設立された。2001年4月1日に独立行政法人化され、国土交通省所管の独立行政法人となった。当初は宮崎本校のみであったが、志願者の増加と共に、フライト課程を宮崎のみで行うことが困難になったため、仙台分校と帯広分校を設置し、訓練を分散化させた。 学費は無料ではないが、民間のパイロットスクールや大学の操縦専攻課程と比較すれば、格段に安価[注釈 4] なことに加え、募集人数が108名と少ないこと、学力試験や航空身体検査が厳しいこともあり、入学試験の倍率は例年7?10倍で推移している[1]。また自衛隊はパイロットを独自に養成しているため、航空機乗員養成所のような軍事色は無くなっている。 出願資格は、19歳から24歳までの身長158cm以上で のいずれかに該当する者である。 また、過去に航空大学校入学第二次試験における身体検査A受験後、身体検査Bの対象とならなかった者は、再受験が可能である。 国籍要件がないため、外国籍の者であっても所定の手続きを取れば入校可能。 年齢の上限が緩い[注釈 5]ため、社会人が入校する例もある[2]。 省庁大学校ではあるが気象大学校や防衛大学校・海上保安大学校とは違い、在校中の身分は国家公務員ではないため給与は支給されず、320万円前後の授業料と諸経費が必要となる。またアルバイトは禁止されている。 他の省庁大学校とは違い、6月、9月、12月、3月の4期に分かれて入学する。入校時の航空身体検査は航空医学研究センターが受託している[3]。 練習機による操縦訓練の他、パイロットに必要な航空力学や気象に関する座学も行う。なお航空特殊無線技士や航空無線通信士などの無線従事者免許証が取得出来なければ進級できないが個人で取得する必要があり、入学前の取得が推奨されている[4]。 大学改革支援・学位授与機構の認定を受けていないため学位は取得できない。 全寮制で全てのキャンパスに学生寮が整備されており、在学中は先輩後輩の2名が同室となる。全寮制ではあるが在校生用の駐車場が用意され自家用車の所有が可能、外出も許可されるなど自由度は高い[5]。 取得できるのは固定翼機の事業用操縦士(陸上単発と多発)と計器飛行証明である。
概要
入学・費用
学校教育法による修業年限4年以上の大学に2年以上在学し、全修得単位数が62単位以上の者
学校教育法による短期大学又は高等専門学校を卒業した者
専修学校の専門課程の修了者に対する専門士及び高度専門士の称号の付与に関する規程による専門士又は高度専門士の称号を付与された者
翌年3月末までに1.、2.又は3.となる見込みの者
1.、2.又は3.に掲げる者と同等以上の学力を有すると航空大学校理事長が認める者
カリキュラム
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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