航空兵科
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航空兵(こうくうへい)は、軍隊における兵科の一つ。航空機を用いて攻撃・偵察を行い、それに伴う整備も受け持った。
目次

1 航空兵科の成立

2 日本の航空兵

2.1 陸軍

2.2 海軍


3 著名な航空将兵

3.1 大日本帝国

3.1.1 陸軍

3.1.2 海軍


3.2 アメリカ合衆国

3.3 イタリア

3.4 イギリス

3.5 ドイツ

3.6 フランス

3.7 ロシア


4 脚注

5 関連項目

航空兵科の成立

かつて航空機が存在しない時代の軍隊は、基本兵科といえば「歩兵」・「騎兵」・「砲兵」・「工兵」で、もっぱら陸上の視点に立っていた。その後、気球の実用化により、航空機の軍用利用が始まった。1794年フランス陸軍では世界に先駆け気球による偵察が行われ、19世紀に入ると世界各国の軍隊で採用された。1900年ドイツフェルディナント・フォン・ツェッペリン飛行船で初飛行を成功させると、ドイツ軍はツェッペリン社に軍用機を発注する事となる。1909年、ドイツでツェッペリンの軍用飛行船が正式採用となった。

1903年にはアメリカライト兄弟が飛行機の初飛行に成功している。飛行機もすぐに軍事利用の研究が始まった。フランスでアンリファルマンIIIが乗客2名を乗せて飛行すると、翌年には日本で徳川好敏陸軍工兵大尉(後に陸軍中将)が日本初飛行を成功させた。1910年4月にはフランスが航空部隊を編制し、1911年イギリス航空師団が編成された。本格的な実戦投入がされたのは第一次世界大戦の頃からで、この時にはヨーロッパ列強各国が航空部隊を持ち、主に偵察が主任務であった。続く第二次世界大戦では航空戦力が主兵となり大いに活躍した。

このように航空機の軍用利用が広まるなかで、独立兵科としての航空兵の地位が形成されていった。当初は陸軍海軍の一部としてスタートし、次第に航空兵科が部門として地位を確立すると、最終的には空軍として独立する国も出た。
日本の航空兵
陸軍

日本陸軍では1904年明治37年)の日露戦争で電信教導大隊内に臨時気球隊が編制され、旅順攻囲戦で偵察任務を行った。1907年(明治40年)に鉄道連隊、電信大隊、気球隊を統括する交通兵旅団が設置され、近衛師団長の指揮下に置かれた。1909年(明治42年)7月30日に陸海軍共同によって臨時軍用気球研究会が創設され、初代会長には長岡外史陸軍中将が任命された。同会は1920年大正9年)5月14日まで存続し、軍用気球の運用は主に工兵が担当した。1910年(明治43年)には前述の徳川好敏陸軍工兵大尉が日本で初飛行を成功させた。軍用気球・軍用機共にそうであったように、陸軍では新兵器は主に工兵によって導入された。第一次世界大戦では青島派遣航空隊として航空部隊が創設され、独立第18師団隷下で実戦投入された(青島攻略戦)。1915年(大正4年)に初めて平時編制として飛行大隊が編成された。1919年(大正8年)4月に航空部門を統括する陸軍航空部が設置され、井上幾太郎が本部長に就任する。これは先の交通兵旅団(この時は交通兵団と改編していた)の管轄にあった鉄道・電信については工兵監の所管とし、航空のみ独立させたものだった。

兵科として航空兵科が独立したのは1925年(大正14年)の宇垣軍縮によるもので、5月に創設された航空兵科は騎兵科や工兵科からの転科によって将校を調達した。兵科定色は「淡紺青」。また、飛行兵科創設に伴い陸軍航空部が陸軍航空本部として改編し権限強化が図られた。既設の飛行大隊も飛行連隊として格上げし、1930年昭和5年)には8個連隊を数えた。1937年(昭和12年)以降は空地分離方式の導入によって、飛行連隊は飛行戦隊に順次改変され、終戦までに計92個戦隊を数えた。

1923年(大正12年)に各飛行部隊が編成され各師団に配属されてはいたが、各飛行部隊を包括する航空部隊が設置されたのは1936年(昭和11年)8月の事で、中将に進んだ徳川好敏が長を務める航空兵団が編成された。総数としての規模は拡大したが、制度としては未完成で常に編制が変化した。終戦間際の編制では、本土決戦を睨み北東方面を除く日本本土および朝鮮に駐屯する飛行部隊・航空部隊を統括する総司令部として航空総軍が置かれ、次に航空軍、その下に飛行師団が編制された。


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