航空事故の一覧_(1960年から1979年)
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本項では、日本以外で発生した民間航空機ゼネラル・アビエーション航空事故のうち、1960年から1979年までのものについて記述する。@media all and (max-width:719px){body.skin-minerva .mw-parser-output .tocright{display:none}}.mw-parser-output .tocright{float:right;clear:right;width:auto;background:none;padding:.5em 0 .8em 1.4em;margin-bottom:.5em}.mw-parser-output .tocright-clear-left{clear:left}.mw-parser-output .tocright-clear-both{clear:both}.mw-parser-output .tocright-clear-none{clear:none}

本項以外の航空事故については以下を参照。

航空事故の一覧 (1959年以前) - 1959年以前に発生した航空事故

航空事故の一覧 (1980年から1999年) - 1980年から1999年までに発生した航空事故

航空事故の一覧 (2000年から2019年) - 2000年から2019年までに発生した航空事故

航空事故の一覧 (2020年以降) - 2020年以降に発生した航空事故

凡例
事故発生日

航空会社と便名もしくは
機体記号または機体名

製造元と機種

犠牲者数

事故の状況

個別の記事がある場合には詳細として内部リンク

1960年代
1960年

1960年1月18日

便名: キャピタル航空 (en)  20便

機種: ビッカース バイカウント745D

死者: 乗員乗客50人全員が死亡。

状況: シカゴからノーフォークに向かっていたアメリカ国内定期便が、エンジンの防氷装置を作動させるのが遅れたため、エンジン2基が着氷し停止。さらにエンジンを再起動させるために暖かい低空に高度を下げたところ、残りの2基も停止した。全てのエンジンが停止したため、パイロットは再起動のために急降下したが成功せず、ようやく片側のエンジンの再起動に成功したものの、今度は最大出力にしたことから非対称となり操縦が困難になった。最期の瞬間にパイロットが機首上げしたために前進スピードがゼロになりボルチモア近郊に墜落炎上した。機体には樹木が突き刺さった状態で発見された。この事故を契機としてエンジンの再起動のために高度を下げるマニュアルが廃止され、いかなる高度であっても正しい手順で再起動すれば成功すると改められた[1]


1960年1月19日

便名: スカンジナビア航空 871便

機種: シュド・カラベル

死者: 乗員乗客42人全員が死亡。

詳細: 「スカンジナビア航空871便墜落事故」を参照。


1960年3月17日

便名: ノースウエスト・オリエント航空 710便

機種: ロッキード L-188 エレクトラ

死者: 乗員乗客63人全員が死亡。

状況: プロペラ取り付け部分の設計ミスが原因で、インディアナ州上空を飛行中に片方の翼が破損、機体が空中分解し墜落した[2]。この事故で日本の警察官であった中村正己が殉職した。


1960年10月4日

便名: イースタン航空 375便

機種: ロッキード L-188 エレクトラ

死者: 乗員乗客72人中62人が死亡。

状況: ボストンローガン空港を離陸直後、ホシムクドリの群の中に突入、全てのエンジンがバードストライクにより停止して推進力を喪失し、錐揉み状態で空港近くの海上に墜落した[3]。なお、遺族の起こした民事訴訟では、操縦席が急に後退したことで操縦桿を引いてしまい、失速につながる機首上げが発生したとする推測が認められている[4]


1960年12月16日

便名: 1) ユナイテッド航空 826便、2) トランス・ワールド航空 266便

機種: 1) ダグラス DC-8-11、2) ロッキード L-1049 スーパーコンステレーション

死者: 両機の乗員乗客128人全員と地上の6人が死亡。

詳細: 「1960年ニューヨーク空中衝突事故」を参照。


1961年

1961年1月28日

便名: アメリカン航空 1502便

機種: ボーイング 707-123

死者: 乗員6人全員が死亡。

詳細: 「アメリカン航空1502便墜落事故」を参照。


1961年2月15日

便名: サベナ航空 548便

機種: ボーイング 707-329[5]

死者: 乗員乗客72人全員と地上の1人が死亡。

詳細: 「サベナ航空548便墜落事故」を参照。


1961年4月3日

便名: ラン・チリ航空 621便[6]

機種: ダグラス DC-3C

死者: 乗員乗客24人全員が死亡。

詳細: 「ラン・チリ航空621便墜落事故」を参照。


1961年5月30日

便名: ビアサ 897便

機種: ダグラス DC-8-53

死者: 乗員乗客61人全員が死亡。

詳細: 「ビアサ897便墜落事故」を参照。


1961年7月11日

便名: ユナイテッド航空 859便

機種: ダグラス DC-8-12

死者: 乗員乗客122人中17人と地上の1人が死亡。

詳細: 「ユナイテッド航空859便オーバーラン事故」を参照。


1961年9月12日

便名: エールフランス 2005便

機種: シュド・カラベル

死者: 乗員乗客77人全員が死亡。

詳細: 「エールフランス2005便墜落事故」を参照。


1961年9月18日

便名: 国際連合 チャーター機(運航はトランスエア・スウェーデン (en) 、機体記号:SE-BDY)[7]

機種: ダグラス DC-6B

死者: 乗員乗客16人全員が死亡。

状況: 国際連合事務総長ダグ・ハマーショルドコンゴ動乱の停戦調停に赴く途上、搭乗機が北ローデシア(現在のザンビア)のンドラで墜落。


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