日本の政治家舩後 靖彦ふなご やすひこ
生年月日 (1957-10-04) 1957年10月4日(66歳)
出生地 日本 岐阜県岐阜市
出身校拓殖大学政経学部卒業
前職貿易会社従業員
介護サービス会社副社長
現職れいわ新選組副代表
所属政党(無所属→)
れいわ新選組
配偶者あり
子女一女
親族曾祖父・舩後善松(奈良県添上郡柳生村長)
公式サイト舩後靖彦オフィシャルサイト
舩後 靖彦(ふなご やすひこ、1957年〈昭和32年〉10月4日 - )は、日本の政治家。れいわ新選組所属の参議院議員。同党の副代表を務める。
全身麻痺で人工呼吸器装着の筋萎縮性側索硬化症 (ALS) 患者。「全身麻痺ギタリスト」を名乗る。 岐阜県岐阜市生まれ。10歳の頃より千葉県千葉市に移り住み、千葉県立千葉南高等学校を経て、拓殖大学政経学部卒業。 大学卒業後はプロミュージシャンを目指すも断念し[1]、1982年、酒田時計貿易株式会社に入社。28歳のときに結婚。 1999年夏(41歳)突然、箸・歯ブラシ・ペンがうまく握れなくなる。2000年5月、筋萎縮性側索硬化症 (ALS) の告知を受ける。麻痺は全身に及び2002年に人工呼吸器・胃瘻を装着。2008年、最後まで働いていた右手中指も麻痺。 人工呼吸器の装着が必要となったときには人生に絶望し、装着せずに死を選ぶことも考えたが[2]、ピアサポートに生き甲斐を見出し[1]、その後は、創作活動、講演活動を行う。湘南工科大学非常勤助手を経てテクニカルアドバイザー。上智大学非常勤講師・帝京科学大学非常勤講師・立正大学人文学研究所客員研究員などとしても活動。また、看護、介護サービス事業会社「株式会社アース」取締役副社長、サービス付高齢者向け住宅「サボテン六高台」名誉施設長として経営監視も担った。現在「株式会社アース」と「社会福祉法人気づき(アース系列)」の顧問。文字盤への視線動作を介助者に読み取ってもらったり、センサーを歯で噛むことでパソコンを操作し、対話や意思表示をする[3]。 2014年11月16日執行の松戸市議会議員一般選挙に無所属で立候補するも落選[4]。 2019年7月21日執行の第25回参議院議員通常選挙において、山本太郎が代表を務めるれいわ新選組から比例区特定枠1位として第25回参議院議員通常選挙に立候補[5]。れいわ新選組は比例区で2議席を獲得し、舩後は初当選を果たした[6][7]。ALS発症の公表後に出馬して国政選挙に当選した人物は舩後が世界初とみられる[8]。 当選5日後の7月26日、重度障害者に対する重度訪問介護サービスを経済活動中も受けられるよう、木村英子と共に参議院事務局によるヒアリングの場で要望[9]。また8月11日、議員活動にあたり円滑な意思表明を行うべく、将来的な「分身ロボット」の活用を要望した[10]。 参議院議員として、文教科学委員会、北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会に所属(令和2年5月10日現在)[11]。 2020年8月22日の党総会において、木村英子と共にれいわ新選組の副代表に就任(任期は令和4年8月まで)[12][13]。 趣味はギターで、千葉で「舩後ファミリーライブ」というライブイベントを主催している。若い頃はプロを目指したこともあると言う腕前だったという。ALS発症後は作詞のみ行っていたが、湘南工科大学助手時代の2010年に学生らとともに全身麻痺の人でもギターを弾けるシステムを制作。担当教授が「全身麻痺でも弾けるギター」と名付ける。2010年に全身麻痺ギタリストとしてステージに上がった[14]。 2017年6月に「Go! Your own way -自分の道を行け-」というタイトルのCDを、高校の同級生中心に製作。うち一曲のみだが「全身麻痺でも弾けるギター」を、前奏とエンディングで弾く。後、その時のメンバーとバンドを結成し、ライブ活動をする。 安倍晋三とは安倍が自民党幹事長在任中の2003年以降親交があり、メールなどで連絡を取り合っていた。
概説
人物