舞子ビラ
シーサイドホテル舞子ビラ神戸(シーサイドホテルまいこビラこうべ、英: Seaside Hotel MAIKO VILLA)は、兵庫県神戸市垂水区舞子にあるシティホテルである。「舞子ビラ」とも称される。 舞子公園の北東、明石海峡を望むことができる丘の上に位置する。1998年竣工の14階建ての(新)本館と1981年竣工の8階建ての緑風館(旧別館)で構成されている。古くは住友家の私邸であったが、1966年(昭和41年)に神戸市が購入し、公共レジャー兼宿泊施設として営業されてきた。 1980年代後半 - 1990年代初頭のバブル景気時に大規模な新本館の建設が計画されたが、その後のバブル崩壊と平成不況と阪神・淡路大震災による経済的影響から着工が遅れ、明石海峡大橋が開通した5か月後の1998年(平成10年)9月に「シーサイドホテル舞子ビラ神戸」として新装開業した。 施設は急勾配の丘陵地に立地しているため、徒歩利用者向けに傾斜にそって横に水平移動する斜行エレベーターが設置されている。このエレベーターは、全国的に見てもきわめて珍しい機種である。 新装開業から2013年(平成25年)3月までは、土地・建物を神戸市が信託銀行団に信託し、信託銀行団が融資を受け新本館建設・旧別館改修を行い、第三セクター会社がホテルを経営し信託銀行団に賃料を支払うことで、信託銀行団は融資を返済するという民活
概要
2013年4月、土地は神戸市が保有・賃貸、建物は明治海運株式会社が保有・賃貸、ホテル経営は明治海運100%子会社のサフィールリゾート株式会社が行う現在の体制に移行した。
本館
メリケンパーク界隈の民営ホテルに引けをとらないほどのスケールである。14階のレストランやバー、そして一部の客室の浴室から、明石海峡大橋と淡路島の展望を取り入れるように設計[1]されている。また、有栖川宮別邸の庭園に植えられていた姫小松を生かすようにも設計されている[1]。
旧別館
緑風館に改称され、客室(和室)と宴会場・浴場が設置されている。また、新本館落成後にチャペルも設置された。
沿革旧有栖川宮邸庭園
有栖川宮熾仁親王が1888年(明治21年)に現在地の舞子柏山(または烏崎(からさき)と呼ばれた)に避暑で来訪。ここからの景勝をいたく気に入った熾仁親王はこの地を買い上げ、その後1893年(明治26年)に別邸の建設を開始した。別邸は1894年(明治27年)に竣工するが、皮肉にも同年暮れに熾仁親王は広島大本営で腸チフスを発症し、この別邸で静養することになる。明けて1895年(明治28年)1月、熾仁親王は舞子別邸で薨去した。
熾仁親王の跡を継いだ弟の威仁親王も、晩年は舞子別邸で病気療養を行い、大正2年(1913年)にこの地で薨去することとなる。
1920年(大正9年)に史蹟名勝記念物指定を受ける。明治天皇は1900年(明治33年)、1902年(明治35年)、1908年(明治41年)と宿泊、昭和天皇も皇太子時代の1916年(大正5年)、皇后と1954年(昭和29年)に宿泊した。
1917年(大正6年)に住友家へ払い下げられ、迎賓館となる。終戦直後はGHQに接収され、館内は洋式に改められる。1950年(昭和25年)に接収解除後ホテルトウキョウへ売却、1959年(昭和34年)11月にオリエンタルホテルが買収し、「オリエンタルホテル舞子ビラ」とし経営した。