興禅寺
所在地長野県木曽郡木曽町福島5659番地
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度51分11.74秒 東経137度42分9.69秒 / 北緯35.8532611度 東経137.7026917度 / 35.8532611; 137.7026917
興禅寺(こうぜんじ)は 長野県木曽郡木曽町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は萬松山。町内の長福寺、大桑村の定勝寺とともに木曽三大寺のひとつ。本尊は釈迦如来像。
歴史源義仲(中央)・木曾信道(右)・木曾義康(左)の墓
永享6年(1434年)木曾氏12代・木曾信道が居館を須原から木曽福島に遷し、木曾義仲の追善供養のために鎌倉建長寺5世の円覚大華を迎えて開山したと伝わる。
鐘銘には、 壇心離有作々 金匠到無切功 鐘聲廣大 伽藍興隆 群生睡破 利濟無窮 美濃州 慧那郡 木曾庄 萬松山 興禅々寺 住持比丘大壇那 源之朝臣家豊 于時文正元年 丙戌霜月一日 とある。
天正18年(1590年)の細川幽斎の『東国陣道記』にも描かれている。
江戸時代は尾張藩の重臣で木曾代官の山村良勝の庇護を受け菩提寺となった。
裏山には山村良勝以後の山村甚兵衛家の歴代の墓と源義仲(木曾義仲)の印塔、木曾信道及び木曾義昌の墓石[1]がある。
寛永、明治、昭和に3度の大火に遭い、往時の面影はほとんど残っていない。 木曽町福島5659番地 JR中央本線木曽福島駅から車5分
伽藍・境内看雲庭
本堂
観音堂
庫裏
万松庭
看雲庭 2019年(平成31年)国の登録記念物に登録された。作庭家重森三玲氏により1963年に造られた枯山水庭園。
所在地
交通アクセス
脚注^ 木曾義昌は移封先の下総網戸(阿知戸)で亡くなり、子の木曾義利によって水葬にされた。そのため千葉県旭市に墓がある
参考文献
『信州の文化シリーズ 寺と神社』1981年 信濃毎日新聞社
『探訪 信州の古寺 禅宗』1996年 郷土出版社