この項目では、東海道本線の駅について説明しています。
羽幌線にあった仮乗降場については「興津仮乗降場」をご覧ください。
外房線の駅については「上総興津駅」をご覧ください。
興津駅
駅舎(2016年12月)
おきつ
Okitsu
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所在地静岡市清水区興津中町300-14.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度3分8.90秒 東経138度31分19.08秒 / 北緯35.0524722度 東経138.5219667度 / 35.0524722; 138.5219667
興津駅(おきつえき)は、静岡県静岡市清水区興津中町にある、東海旅客鉄道(JR東海)東海道本線の駅である。駅番号はCA13。
運行形態の詳細は「東海道線 (静岡地区)」を参照。 東西両京を結ぶ鉄道計画で東京?名古屋・岐阜間のルートが中山道経由から東海道経由に変更された際、東海道五十三次17番目の宿場町であった興津宿では、小躍りして喜んだという。そして鉄道のことをよく知ろうと、ジャーナリストや経済・法律の専門家を呼び寄せ、興津の宿の一つで宴会を催したともいわれる。ぜひ興津に駅を設けて欲しいと、隣の清見寺をもつ清見寺町の住民も巻き込んで熱心な誘致運動を展開し、それが功を奏して路線の開業とともに「興津駅」は誕生した。 その際、清見寺では境内の一部が鉄道敷地として召し上げられ、それによって風致が損なわれた事に対する補償金が支払われたが、寺の住職はそれを献納したといわれる。現在でもその名残で、東京側から見ると興津駅を過ぎた先で、清見寺の総門と本堂の間を東海道本線が横切っているのを見る事ができる。この清見寺は、明治天皇、大正天皇の休息所として使われ、大正天皇は特に興津を気に入り、興津が避寒地として注目されるようになった。 明治から大正期にかけての政治家、井上馨が晩年を過ごした別荘である「長者荘」や、最後の元老としても知られる西園寺公望が晩年を過ごした別荘「坐漁荘」の最寄り駅としても知られる。興津を気に入っていた井上は、近隣住民とも深く関わり、地域振興にも熱心で、存命中には興津駅を急行列車の停車駅に昇格させた[1]。また、西園寺は最後の元老として隠然たる権限を有したことから、政府高官や閣僚らが西園寺のもとを訪れるために当駅を利用し、「興津詣で」と呼ばれた[2]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}西園寺の上京に備え当駅に西園寺専用の優等車両が配置されていたといわれる。[要出典]興津には井上・西園寺のみならず、松方正義、伊藤博邦、川崎正蔵、大倉和親ら多くの政財界の有力者たちも別荘を構えた。 由比駅との間にある薩?峠付近は海岸と山に挟まれる地形となっており、土砂災害が頻発する区間である。1974年7月7日に発生した七夕豪雨では、線路に大量の土砂が堆積したため不通となり、6日間にわたり興津駅で折り返し運転を行った[3]。
歴史
年表
1889年(明治22年)2月1日:官設鉄道(現在の東海道本線)の駅として、国府津 - 静岡間の開通と同時に開業。一般駅。
1895年(明治28年)4月1日:線路名称制定。東海道線(1909年に東海道本線に改称)の所属となる。
1930年(昭和5年)4月18日:駅舎を改築[4]。
1980年(昭和55年)10月1日:車扱貨物の取扱を廃止。
1981年(昭和56年)10月24日:新駅舎(現在の駅舎)が落成[4]。