おきつ かずゆき
興津 和幸
プロフィール
愛称オッキー[1]、オッキン[1]、おかず[1]
性別男性
出身地 日本・兵庫県三原郡西淡町(現:南あわじ市津井)[2]
生年月日 (1980-03-08) 1980年3月8日(44歳)
血液型A型[3]
身長175 cm[3]
職業声優
事務所ケッケコーポレーション[4]
公式サイト ⇒興津 和幸|ケッケコーポレーション
活動
活動期間2000年代 -
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興津 和幸(おきつ かずゆき、1980年3月8日[3][5] - )は、日本の男性声優。
兵庫県三原郡西淡町出身[2]。ケッケコーポレーション所属[4]。 兵庫県の淡路島[4]の三原郡西淡町(現:南あわじ市津井)出身[2]。 小学5年生の時はテレビアニメ『魔神英雄伝ワタル』が好きだった[6]。アニメ好きだった親戚から「ワタル(田中真弓)とヒミコ(林原めぐみ)がNHK教育テレビ『ともだちいっぱい』でサルの双子を演じている」という話を聞いて観て、職業としての声優を初めて知って声優を目指した[6][7]。 そのうち『ミスター味っ子』が好きになって「料理人に俺はなる!」と思っており、小学6年生の時の夢は料理人で卒業文集にも書いていた[6]。 中学時代以降、アニメを観たり、アニメ雑誌を読んでいるうちに、声優になる夢が復活していき、兵庫県立洲本高等学校[8]に進学した頃には、第一歩として放送部に入るか演劇部に入るかで悩んでいた[6]。ドラマ制作、アナウンス、朗読の練習もでき、オーディオ機材にも触れられるのが面白そうであり、先輩も可愛かったため、3年間放送部に所属[6][9]。 NHK杯全国高校放送コンテストなどの大会にも出場しており、朗読部門でアーネスト・ヘミングウェイの『老人と海』を朗読し、兵庫県で1位を獲得した経験を持つ[6][9]。高校3年生の時に第79回全国高等学校野球選手権大会の開会式の司会進行を務めた経験がある[10]。 高校卒業後、声優・芝居の学校に行くより、放送学科なら親が納得してもらえそうで、後でつぶしもききそうであり、資料の隅っこにも「声優」の文字があったため、第一志望ではなかったが大阪芸術大学芸術学部放送学科・アナウンスコースに進学[9][10]。同じ大学の先輩に庵野秀明がいる[11]。 既に声優になりたい気持ちはあったが、芝居の勉強をしたことがなく高校時代に演劇部の友人に誘われ、舞台に立ったことがあるくらいだったため、大学で学生劇団に入団し、芝居ばかりしていた[10]。 大学4年生の時に別の劇団に移り、大阪府にあった劇団には上京後も何度か参加していたが、その劇団は解散[10]。同時に在学中は声優養成所の週末レッスンコースにも通っていた[10]。 養成所のオーディションで事務所の所属が決まり、大学卒業後は上京して役者としての活動を始める[9][10]。その事務所は解散[9]。仕事はあまりなくその時も小劇場劇団で芝居を続けていた[10]。 RME[12]( - 2006年10月)を経て、一時フリーで活動していた時期もあったが、ナレーション収録の現場で出会ったケッケコーポレーションのマネージャーに声を掛けてもらって2007年5月より所属[9][10][13]。 22歳くらいの時にアニマルプラネットの動物ドキュメンタリーのボイスオーバーのシロクマの飼育員で声優デビュー[14]。2007年、テレビアニメ『もえたん』でアニメデビュー[14]。『デッド・ゾーン シーズン5』で外画吹き替えデビュー[14]。 2008年、『鉄腕バーディー DECODE』で番組レギュラーとして出演、初めてオーディションから受けてもらった役である『とらドラ!』の能登久光役で初レギュラー[15]。 『屍鬼』や『れでぃ×ばと!』でキャリアを積み、2012年にテレビアニメ『ジョジョの奇妙な冒険』で主人公のジョナサン・ジョースター役に抜擢される[15][16]。原作の『ジョジョの奇妙な冒険』は知っている程度であり、先輩の家に遊びに行っていた時も3部を薦められたため、1部はオーディションの時まで読んだことがなかったという[17]。
略歴
デビュー前
デビュー後