この項目では、中国の歴史的地名について説明しています。遼寧省大連市の市轄区については「金州区」をご覧ください。
金州(きんしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から明代にかけて、現在の陝西省安康市一帯に設置された。 古来は梁州の管轄地域であった。南朝梁により梁州から南梁州が分割された[1]。552年(廃帝元年)、西魏の王雄が南朝梁から上津郡
魏晋南北朝時代
隋代・洵陽郡
隋代の行政区画変遷 618年(武徳元年)、唐により西城郡は金州と改められた。742年(天宝元年)、金州は安康郡と改称された。757年(至徳2載)、安康郡は漢南郡と改称された。758年(乾元元年)、漢南郡は金州の称にもどされた。金州は山南西道 元のとき、金州は興元路に属し、属県を持たない散州となった[6]。 1370年(洪武3年)、明により金州は漢中府に属した。1372年(洪武5年)、平利・石泉・洵陽の3県が金州に属した。後に漢陰・白河・紫陽の3県が加増された[7]。1583年(万暦11年)、甚大な洪水被害を受けた金州城は放棄され、旧城南方の趙台山山麓に新城を建築、現在の安康市漢浜区の基礎が築かれた。また新城への移転に際し金州は興安州と改称された。 1782年(乾隆47年)、清により興安州は興安府に昇格した。興安府は陝西省に属し、安康・平利・石泉・洵陽・白河・紫陽の6県と漢陰庁を管轄した[8]。 1913年、中華民国により興安府は廃止された。
区分開皇元年区分大業3年
州金州直州上州郡西城郡
郡魏興郡吉安郡洵陽郡安康郡忠誠郡金城郡上甲郡県金川県 洵陽県
寧都県 石泉県
黄土県 豊利県
県西城県吉安県洵陽県寧都県石泉県
魏寧県直城県黄土県
豊利県
唐代
宋代に属し、西城・洵陽・石泉・漢陰・平利の5県を管轄した[5]。
元代
明代
清代以降
脚注^ 『周書』文帝紀下の魏廃帝元年春の条につく中華書局本校勘記は、楊守敬『隋書地理志考証』を引いて、ここの「南梁」を「東梁」の誤りとする。『周書』李遷哲伝の記述により、南朝梁に魏興郡を州治とする東梁州があり、西魏が改名したわけではないと述べる。
^ 『周書』文帝紀下
^ 『隋書』地理志上
^ 『旧唐書』地理志二
^ 『宋史』地理志一
^ 『元史』地理志三
^ 『明史』地理志三
^ 『清史稿』地理志十
表
話
編
歴
隋朝の行政区分