臼砲
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臼砲の断面図
18世紀フランスのもの

臼砲(きゅうほう)とは大砲の一種で、曲射砲の一つである。
概要

英語では“Mortar”。この語の本来の意味は「」や「乳鉢」だが、短くて肉厚な砲身が臼に似ていることからMortarと呼ばれるようになった。このため日本語では「臼砲」と呼ばれる。

中世から近代にかけ、攻城砲として城郭や要塞攻撃に多用された。石壁やコンクリート壁を破壊するための大径の砲弾を、短く肉厚の砲身から低初速で撃ち出す。弾道が高く命中精度は低いが、目標が大型だったことから問題とされなかった。砲弾は中世には石塊や単なる金属球が使用されたが、近代は榴弾やコンクリート貫通弾が用いられた。
呼称

臼砲と迫撃砲は英語でともにmortarと呼び区別されない。現代では臼砲は使用されないため、現在では火砲の種別として“mortar”と言った場合には通常は迫撃砲を指す。

一般に、砲身長が20口径以下で、45度程度の角度で弾丸を発射するものを臼砲(または迫撃砲)と定義する資料が多いが、この定義では中世の火砲は全て臼砲になる。ナポレオン戦争のころまでは砲身長は5口径以下が普通で、長砲身の火砲は20世紀になって登場した物である。日露戦争で使われた二十八糎砲など大口径榴弾砲が臼砲と表記されることも多く、榴弾砲と臼砲の境界線は曖昧である[注 1]

一般的には歩兵科管轄の物を迫撃砲として扱うが、旧日本軍では迫撃砲も砲兵管轄だったので、歩兵科管轄は曲射歩兵砲と呼び、臼砲、迫撃砲、曲射歩兵砲の三種類に分類されていた。戦前のドイツ軍では臼砲と迫撃砲は明確に区別していて、臼砲はMorserと呼ぶのに対し、迫撃砲は砲とはみなされずGranatwerfer(擲弾投射器)と呼ばれていた[注 2]
歴史
中世・近世聖ヨハネ騎士団の射石砲
自重は3.3tもあり、260kgの砲弾を射出できる。ロードス島の攻防戦で城壁の内側から防御用に用いられた。
砲身中央部の突起が15世紀半ばに発明された「砲耳」で、これを支点にして容易に砲の俯仰をとることが可能になった。1639年にハンス・ヴォルフガング・ブラウンが平戸で作製した臼砲のレプリカ(平戸オランダ商館)

初期の臼砲は14世紀後半に出現し、石弾を発射して敵の城郭を攻撃した射石砲である。この当時の臼砲は投石機の一種であった。16世紀になると、導火線時限信管を利用した榴弾が使用されるようになった。この頃までの臼砲は大型で迅速な移動を考慮したものではなかった。

日本においても、島原の乱で榴弾の必要性を認識した幕府がオランダ商館長に臼砲の製造を依頼しており、1639年に鋳物師ハンス・ヴォルフガング・ブラウンがこれを製造、麻布の射場で試射を行っている。1649年には東インド会社の砲術士官ユリアン・スヘーデルが来日し、翌年40ポンド臼砲の砲撃演習を披露し、これを北条氏長が「攻城 阿蘭陀由里安牟相伝」にまとめている。米国の1841年製クーホルン臼砲

1669年にオーストリア軍のホルスト少佐が小型化した野戦臼砲を発明した。


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