日本の政治家臼井 日出男うすい ひでお
生年月日 (1939-01-03) 1939年1月3日(85歳)
出生地千葉県千葉市
出身校中央大学経済学部卒業
前職東京日野ヂーゼル従業員
所属政党自由民主党
称号旭日大綬章
衆議院永年在職議員
経済学士(中央大学・1961年)
全日本剣道連盟剣道六段
親族父・臼井荘一(衆議院議員)
長男・臼井正一(参議院議員)
第67・68代 法務大臣
内閣小渕第2次改造内閣
第1次森内閣
在任期間1999年10月5日 - 2000年7月4日
第58代 防衛庁長官
内閣第1次橋本内閣
在任期間1996年1月11日 - 1996年11月7日
衆議院議員
選挙区(旧千葉1区→)
千葉1区
当選回数8回
在任期間1980年6月22日 - 2003年10月10日
2005年9月11日 - 2009年7月21日
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臼井 日出男(うすい ひでお、1939年1月3日 - )は、日本の政治家。勲等は旭日大綬章。衆議院議員(8期)、防衛庁長官(第58代)、法務大臣(第67・68代)を歴任。父の臼井荘一は衆議院議員を務めた。長男の臼井正一は参議院議員、元千葉県議会議員。2016年から公益財団法人日本武道館で理事長を務める[1]。 千葉県千葉市花見川区検見川町出身。千葉大学教育学部附属小学校、千葉大学教育学部附属中学校を卒業後、千葉県立千葉高等学校卒業。中央大学経済学部経済学科卒業[2]。 1961年4月、中央大学経済学部を卒業後、東京日野ヂーゼル株式会社に入社[2]。入社は父の口利きであった[3]。1967年に退職し、父の衆議院議員・臼井荘一の秘書に転じる[2]。当初は国会議員になるつもりはなかったが、兄が仕事を理由に国会議員になることを拒んだため、国会議員を意識し始める[3]。1980年、父の跡を継ぎ、第36回衆議院議員総選挙に旧千葉1区から出馬して初当選[2]。 1996年、第1次橋本内閣で防衛庁長官に就任し、初入閣。1999年に小渕再改造内閣で法務大臣に就任[2]。首相・小渕恵三の危篤により、急遽自由民主党幹事長の森喜朗が後継総裁に就任し、事実上の居抜き内閣の形で組閣した第1次森内閣でも法相に留任した。 1980年の初当選以来7回連続で当選していたが、2003年の第43回衆議院議員総選挙では千葉1区で民主党の田嶋要に敗れて落選[4]。しかし、2005年の第44回衆議院議員総選挙では千葉1区で田嶋を破り、国政に復帰[5]。 2008年9月25日、記者会見を開き、翌年の第45回衆議院議員総選挙への不出馬の意向を表明し[6]、政界を引退した[7]。引退に際して、「日本が国際社会に合わせる動きが続いているが、日本独自の立場を守ることはもっと大事だ。」という言葉を残した[7]。後継として、長男の元千葉県議会議員の臼井正一が千葉1区から出馬したものの、次点落選[8]。 2016年から公益財団法人日本武道館の理事長を務める[1]。
経歴
エピソード
障害を持つ兄がいる影響で、父の代から福祉と教育に力を注いでいる[2]。
選択的夫婦別姓制度導入に反対する[9]。2000年、臼井の選択的夫婦別姓制度導入への反対は、自身を後援する神道政治連盟の意見であり、政教分離の点で問題があるのではないかと批判された[10]。
2009年11月、平成21年秋の叙勲において旭日大綬章を受章[11][12]。
所属していた団体・議員連盟
自由民主党朝鮮半島問題小委員会(顧問)
神道政治連盟国会議員懇談会
日韓議員連盟
脚注[脚注の使い方]^ a b “公益財団法人日本武道館 役員名簿
^ a b c d e f “大臣名簿 法務大臣