自転車道
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自転車道(じてんしゃどう、英:bicycle way)とは、自動車交通から構造的に分離された、自転車専用(一部は歩行者との共用)の通行空間である。

自転車道には大きく分けて、

主に、日常生活での自転車移動を安全にするために市街地の車道に併設されるもの

主に、サイクリングのために郊外(川沿いや廃線跡など)に独立して設置されるもの

の2種類がある。英語では前者を cycle track[1], separated bike lane[1], segregated cycle lane[2], protected bike lane[1]、protected bike path[3]、後者を solitary cycle track[4], (歩行者との共用の場合は)shared-use path[5] などと呼ぶ。

この他、日本では自動車との混在通行区間を含むサイクリングコースを自転車道と呼ぶことがある[6]。これは bicycle route[7](あるいは signed bicycle route[8])の概念に近い。
欧米の自転車道
歴史と現状
イギリス

イギリスでは、19世紀後半に自転車愛好家たちが団体を組織するなどの運動を展開し、1888年イギリスの議会は彼らの求めていた「荒廃した道路の整備」に着手することと自転車を交通手段として公認を決めた[要出典]。

イギリスで車道併設型の自転車道が初めて整備されたのは1934年、ロンドンのWestern Avenueで、コンクリート舗装、幅員 2.5 m という仕様だった[9]。1935年に実施された調査では沿道の自転車利用者の80%がこの自転車道に満足していたが、自転車愛好家たちは車道を走れなくなる不満から、自転車道を無視して大人数で車道を走るデモ行為を繰り返したり、近隣の別の自転車道で始終端に杭を打って他の自転車利用者を車道に誘導したり、交通省を頻繁に訪れて反対意見を述べるなどの抵抗を続けた[9]。戦後になると、自転車愛好家たちからの反対に加え、道路予算を高速道路網の整備に優先投入したこと、緊縮財政が続いたことから、イギリスにおける自転車道の整備は停滞した[9]

1950年代にはニュータウンの一つ、スティーブニッジで自動車の道路網から独立した質の高い自転車道のネットワークが計画的に整備されたが、その自転車道は徐々に利用されなくなり、現在は住民の2.7%にしか使われていない[10]。1960年代にも別のニュータウン、ミルトン・キーンズで同じく自動車の道路網から独立した自転車道のネットワークが整備されたが、自転車の交通分担率は3%に留まっている[11]

自転車道の整備が再び本格的に動き出すのは2010年代に入ってからで、ロンドンではサイクル・スーパーハイウェイ(英語版)の一部路線が、車道から縁石で分離された構造で整備(CS2は当初の自転車レーンから改修)された[12]。他の都市でも、マンチェスターのOxford Road[13]ケンブリッジのHills RoadとHuntingdon Roadに自転車道が整備されている[14]
オランダ

19世紀末、地形的条件などから自転車が急速に普及したオランダで、世界最初の自転車道路が造られたとされる[要出典]。これは危険な馬車から自転車を保護するための分離を図ったものと考えられている[15]

戦後はオランダでも、市民の所得向上で自動車の保有率が上昇する反面、自転車の利用率低下が続き、車こそが未来の移動手段で自転車はいずれ完全に無くなるものとの考え方が一般的だった[16]。しかし1970年代に入ると、モータリゼーションによる死亡事故の多発や排気ガスが社会問題になり、自動車中心の政策に反対する市民運動(Stop de Kindermoord[17]など)が活発化した[16]。1972年にローマクラブが発表した『成長の限界』や、1973年のオイルショックも、自動車中心だった政策にパラダイムシフトをもたらす切っ掛けになった[18]

そんな中、自転車の安全な通行空間などを求める利益団体(Eerste Enige Echte Nederlandse Wielrijdersbond、現Fietsersbond)が1975年に設立される[19]。ENWBは大規模なデモ走行を実施したり、道路の危険箇所をリスト化したり、自転車通行空間のない危険な道路に自転車レーンを違法にペイントして警察に逮捕されるなどしていたが、同じく自動車中心の政策を疑問視していた政治家から注目されるようになり、交通政策は自動車一辺倒から自転車に配慮したものへとシフトしていく[16]。自転車道整備の社会実験はまず1970年代にハーグティルブルフで、続いて1980年代にデルフトで実施され、自転車の経路選択の変化や利用者数の増加に繋がったため、これをモデルとして他の都市も自転車インフラを整備するようになっていった[16][18]。1990年代に入ると中央政府が“Masterplan Fiets”という枠組みのもと、多数のプロジェクトや研究の実施を促した[18]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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