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自衛隊カンボジア派遣(じえいたいカンボジアはけん)とは、1992年(平成4年)9月以降、自衛隊が国際平和協力法に基づいて国際連合平和維持活動(PKO)の一環として、カンボジアへ派遣されたことをいう。
自衛隊からは施設大隊(施設科部隊)及び停戦監視要員が派遣された。同時に、自衛隊以外からは文民警察要員及び選挙監視要員の派遣も行われた。
自衛隊にとっては、自衛隊ペルシャ湾派遣に続く2度目の海外派遣であったが、陸上自衛隊にとっては初、国際連合の枠組みで活動するPKOとしても初の試みであった。 1992年7月1日に、日本国政府はカンボジア国際平和協力調査団を同国に派遣した。7月27日に、陸・海・空各自衛隊の要員をスウェーデンにある国連訓練センターに派遣し、国連平和維持活動の要領等の修得を行わせた。 8月11日に、防衛庁長官は、陸・海・空各自衛隊に対して、国際平和協力業務実施に係る準備に関する長官指示を発した。また、同日に日本政府はカンボジア国際平和協力専門調査団を派遣した。 日本時間9月3日(ニューヨーク時間9月2日)に、国連から日本政府に対して正式な派遣要請を受ける。9月8日に、「カンボジア国際平和協力業務実施計画」及び「カンボジア国際平和協力隊の設置等に関する政令」を閣議決定した。 施設大隊は、国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC、United Nations Transitional Authority in Cambodia)の指図の下に、国際平和協力業務を実施することとなった。 派遣部隊は、建設(道路・橋等の修理等)のほか、「UNTAC構成部門等に対する水又は燃料の供給」及び「UNTACの要請等に応じて実施する物資等の輸送」等の業務を行うこととなった。更に、1993年2月12日には医療(「UNTAC構成部門等の要員に対する医療」)の業務が、5月6日には「UNTAC構成部門等の要員に対する給食」及び「UNTAC構成部門等の要員に対する宿泊又は作業のための施設の提供」の業務が追加された。 施設大隊には約220名の本部管理中隊が置かれて後方支援などを担当した。また、現地の医療状況、自然環境及び自衛隊の自己完結性から、医官3名、歯科医官1名を含む約20名の衛生班が置かれた。 施設大隊の作業用主要装備は、油圧ショベル、75式ドーザ、トラック、浄水セット、82式指揮通信車、89式地雷原探知機セットなどである。 1992年9月11日に、独立部隊(師団・旅団隷下でなく防衛庁長官直轄)である第1次カンボジア派遣施設大隊を編成した。同大隊を9月17日以降カンボジアに出国させた。 第1次カンボジア派遣施設大隊は、中部方面隊隷下の第4施設団(京都府宇治市)を基幹として、第3師団(兵庫県伊丹市)、第10師団(名古屋市)、第13師団(広島県海田町)等の要員を以て編成された。この中には2005年(平成17年)に第5次イラク復興支援群長となった太田清彦もいた。 1992年9月17日に呉港から海上自衛隊の輸送艦等により第1次カンボジア派遣施設大隊の一部の隊員がカンボジアへ向けて出港した。
概要
施設大隊
第1次カンボジア派遣施設大隊
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