この項目では、現在のドイツの自由民主党(FDP)について説明しています。東ドイツの自由民主党(LDPD)については「ドイツ自由民主党」をご覧ください。
ドイツの政党自由民主党
Freie Demokratische Partei
党首(Vorsitzender)クリスティアン・リントナー
成立年月日1948年12月11日
前身政党ドイツ人民党
ドイツ民主党
本部所在地ベルリン
ドイツ連邦議会議席数92 / 735 (13%)(2021年9月26日現在)
連邦参議院議席数0 / 69 (0%)(●年●月●日現在)
政治的思想・立場中道[1][2] - 中道右派[3]
自由主義[4]
古典的自由主義[5]
リベラル共和主義[6]
経済的自由主義[6]
自由主義的保守主義[7]
公式カラー 黄・ シアン[8]
国際組織自由主義インターナショナル
欧州自由民主改革党
欧州刷新
公式サイトFreie Demokraten - FDP
自由民主党(じゆうみんしゅとう、ドイツ語: Freie Demokratische Partei、略称: FDP)は、ドイツの自由主義政党[4]。自由主義インターナショナル加盟。シンボルカラーは黄色とシアン[8]。 1948年、ヴァイマル共和国時代の旧ドイツ人民党と旧ドイツ民主党のメンバーが合流する形で結成された。1990年には旧東ドイツの自由民主党を統合した。なお、バーデン=ヴュルテンベルク州では民主人民党がFDPの州支部の役割を果たしているほか、ザールラント州ではザール民主党(Demokratische Partei Saar)の名称を党名に冠している。 旧西ドイツの成立から、1998年までアデナウアー政権の一時期とキージンガー左右「大連立」政権を除く全ての内閣で、キリスト教民主同盟/キリスト教社会同盟、ドイツ社会民主党の二大政党のいずれかと連立内閣を組んで国政に参加し、ドイツ連邦議会のキャスティング・ボートを握る存在として影響力を保ってきた。社会民主党と連立を組んでいた時期には社会自由主義(ドイツ語:Linksliberalismus
概説
2002年の連邦議会選挙では同盟90/緑の党に押されて議会第4党に後退したが、2005年の選挙では二大政党が得票を減らす中で得票を伸ばし、議会第3党の地位を確保した。
2009年の連邦議会選挙では得票を大きく伸ばして躍進し、結党以来最大の議席数である93議席を獲得。選挙翌月の10月26日にCDU/CSUと政策合意に達し、28日に連邦議会でCDUのメルケルが首相に再任され、コール政権以来11年ぶりに連立与党の座に復帰した。
ところが、その後献金問題などで支持率が低下し、2011年3月の州議会選挙ではバーデン・ヴュルテンベルク州で議席を大幅に減らし、ラインラント=プファルツ州ではそれまで持っていた10議席を同盟90/緑の党に奪われて全議席を失った。このため、党首のヴェスターヴェレが辞任し、フィリップ・レスラーに交代した。しかしその後も支持率の低下は止まらず、2011年のブレーメン[9]、メクレンブルク=フォアポンメルン[10]、ベルリン[11]、2012年のザールラント[12]、2013年のバイエルン[13]の各州議会選挙では議席獲得に必要な5%ラインを割り込み全議席を失った。
党勢が低迷したまま迎えた2013年の連邦議会選挙では、反ユーロを掲げる新興政党であるドイツのための選択肢と競合した結果、5%を下回る得票率しか得られなかったため1949年以来初めて1議席も獲得できず、連邦議会における全議席を失い、議会第3党の座を旧東ドイツの政権党であったドイツ社会主義統一党の流れを汲む左翼党に明け渡すことになる[14]。この結果を受けて党執行部は党首のレスラーを含めて総退陣することを決定し、同時に規制緩和や減税などの党の政権公約見直しの是非について協議をすることになった[15]。同年12月に行われた臨時党大会でクリスティアン・リントナーを党首とする新指導部が発足、院外政党となった党の立て直しを図ることになった[16]。
2017年ドイツ連邦議会選挙では、10.7%の得票率で阻止条項である5%を超え、80議席を獲得して4年ぶりに連邦議会に返り咲いた。