自由民主党_(イギリス)
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イギリス政党自由民主党
Liberal Democrats

党首エド・デーヴィー(英語版)
副党首デイジー・クーパー(英語版)
議長マーク・パック
事務総長マイク・ディクソン
貴族院議員党首ニュービー男爵
リチャード・ニュービー(英語版)
成立年月日1988年3月3日
前身政党自由党[1]
社会民主党[1]
本部所在地 イギリス
ロンドン、8-10 Great George Street
庶民院議席数11 / 650   (2%)(2020年4月8日現在[2]
貴族院議席数86 / 794   (11%)(2021年4月14日現在[3]
ロンドン議会議席数1 / 25   (4%)(2020年4月8日現在)
スコットランド議会議席数5 / 129   (4%)(2020年4月8日現在)
ウェールズ議会議席数1 / 60   (2%)(2020年4月8日現在)
地方議会議席数2,544 / 19,787   (13%)(2020年4月8日現在)
地方首長2 / 25   (8%)(2020年4月8日現在)
党員・党友数120,845人(2019年現在[4]
政治的思想・立場中道[5] - 中道左派[6]
自由主義[7]
社会自由主義[7][8]
古典的自由主義[9][10]
親欧州主義[11][12]
公式カラー    黄色[13]
    濃灰色[13]
国際組織自由主義インターナショナル
欧州自由民主改革党
公式サイトLiberal Democrats
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自由民主党(じゆうみんしゅとう、英語: Liberal Democrats、英語略称: LDP、Lib Dems、LD[1])は、イギリスの政党。歴史的にはホイッグ党、そして自由党の流れを汲む自由主義政党である。

保守党と同様に議会内部から出てきた名望家政党であったが、戦後に第三党に転落してからは、性格が変わり、二大政党の支持者の渡り鳥的宿泊所として機能(保守党支持者が保守党に不満を持った時、労働党支持者が労働党に不満を持った時の批判票の受け皿として機能)してきたと指摘される[14]。現在の党首はエド・デーヴィー(英語版)。
歴史
社民党との「連合」

かつてイギリスで二大政党の一翼を占めた自由党は、労働党にその座を明け渡してから低迷していた。一方、労働党内部には左派優位に対する反発もあった。1981年、労働党右派が離党し社会民主党を結成。自由・社民両党は選挙連合(Liberal/SDP aliance)を組み選挙に臨んだ。しかし、1983年総選挙では、選挙連合は得票率25.4%と労働党に2.2%ポイント差に迫りながら、獲得議席は23(議席率3.5%)にとどまった(なお、保守党は得票率42.4%で397議席、労働党は27.6%で209議席だった)。その後も選挙協力を行ったが、二大政党に議席の集中する小選挙区制の特性上、常に得票率を下回る議席率しか得られなかった。
「連合」から「自民党」へ

選挙の結果を受け、選挙連合からさらに進めて、両党の合同が議論されるようになった。1988年1月、両党の臨時党大会でそれぞれ合併が承認され、3月に正式に合併して成立。当初は社会自由民主党(Social and Liberal Democrats)と呼称していたが、翌1989年10月に現在の自由民主党に改称した(自由党、社民党とも、合併反対派は独自の活動を続けているが、現在は議席を持つのは地方議会のみとなっている)。

下院(庶民院)の第三党として、労働党と保守党の二大政党に迫る得票を得ることもあるが、小選挙区の特性上、議席は伸び悩んでいる。当初は中道政党として二大政党に等距離を置いていたが、1997年総選挙では「保守党に代わる非社会主義勢力の結集」を公約に労働党に好意的対応を取り、一部の選挙区では両党の支持者が勝ち目のある党の候補に票を集中させる「戦略投票」を行った。その結果、労働党が大勝したため連立政権構想は立ち消えになったが、得票率16.8%(前回比?1.0%)ながら26増の46議席を得ることに成功した。しかし、その後は再び労働党と距離を置いている。

自由主義インターナショナルに加盟。経済においては市場主義経済を尊重するものの社会福祉を重視するなど、政治的スタンスは社会民主主義に近い社会自由主義を取っている。またイラク戦争においては、いち早く反対を表明し、労働党の一部を巻き込んで国論を二分する論争に発展した。また、小選挙区制では常に第三党として苦戦を強いられているため、比例代表制導入を党是としている。
選挙での躍進、保守党との連立政権

2005年総選挙では、得票率22.7%(前回比+3.9%)を獲得。8議席伸ばし、庶民院定数646議席のうちの62議席(議席率9.6%、過去最多)を得る躍進を遂げた。

2008年5月1日に行われた地方選挙では与党・労働党を上回る得票率を得た。そして翌々年、2010年5月6日投開票の総選挙では事前の世論調査による支持率では2大政党と互角の戦いを繰り広げ、得票率23.0%を獲得したが議席は57(定数650)と微減した。しかし二大政党とも過半数を獲得できない、いわゆる「ハング・パーラメント」(宙ぶらりん議会)になったため両党と連立政権樹立を協議。選挙制度改革(小選挙区単記非移譲式投票の単記移譲式投票への変更)の国民投票を条件に、デービッド・キャメロンを首班とする保守党との連立政権に合意し、初の政権入りを果たした。党首であるニック・クレッグイギリスの副首相に就任した。

保守党と連立政権を組んだことに対し、自民党の活動家や支持者の中には、「指導部の裏切りだ」「自民党に幻滅した」として、反発する声も上がっている。またトライデント核兵器システムの更新と比例代表選挙制度の問題で「自民党は保守党に屈した」として、地方の党支部長が緑の党に入党するなど、一部では離反の動きも見られる[15]


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