自由学園明日館
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自由学園明日館
中央棟(2018年10月撮影)
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情報
用途研究・学習施設、会議・集会場
旧用途自由学園 校舎
設計者フランク・ロイド・ライト
遠藤新
事業主体学校法人自由学園
構造形式いずれも木造
建築面積※*中央棟 539.6

東教室棟 179.6

西教室棟 178.9

講堂 403.3

階数いずれも1階
(中央棟は一部2階)
所在地171-0021
東京都豊島区西池袋二丁目31番2号
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度43分36秒 東経139度42分26秒 / 北緯35.72667度 東経139.70722度 / 35.72667; 139.70722 (自由学園明日館)座標: 北緯35度43分36秒 東経139度42分26秒 / 北緯35.72667度 東経139.70722度 / 35.72667; 139.70722 (自由学園明日館)
文化財重要文化財
指定・登録等日1997年5月29日[1]
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中央棟内部講堂

自由学園明日館(じゆうがくえんみょうにちかん)は、東京都豊島区西池袋に所在する、学校法人自由学園が所有する施設[2]1921年(大正10)、東京府北豊島郡高田町雑司ヶ谷村に羽仁吉一羽仁もと子夫妻により設立された。当初は本科(5年制)と専攻科(文学科・家庭科、2年制)からなる女学校として開校。(翌年4月に文学科と家庭科は高等科に一本化)[3]初年度は本科1年生26名が入学し、4月15日に最初の入学式が行われた。[4]開校から1934年に移転するまで自由学園の校地として使用された敷地に、建築家フランク・ロイド・ライトや、その弟子であった遠藤新の設計による建物群から成っている[2]。学校の移転後も自由学園が所有して、「明日館」と名付けられ、もっぱら卒業生による事業などに利用された[2]

1997年5月29日に国の重要文化財に指定され、2003年DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築に選定されている[5]。その後は、文化財として見学に開放されているほか、結婚式場やコンサート会場などにも利用されており[6]、文化財建築物を利用しながら保存する「動態保存」のモデルケースのひとつとされる[7]
建設の経過

1921年帝国ホテルの設計のために来日していたフランク・ロイド・ライトは、遠藤新の紹介で、羽仁吉一もと子と会い、夫妻が創設を準備していた自由学園の理念に共鳴し、校舎の設計を引き受けた[6]。設計は1921年1月から着手され[8]、基本設計をライト、実施設計を遠藤が担当した[9]

1922年6月に中央棟と西教室棟が竣工し、翌1923年には中央棟の食堂に附属施設が増築された[8]。東教室棟が1925年、講堂が1927年にそれぞれ建設された[8]。建設にあたってライトは、特徴的な幾何学模様の装飾を施すために大谷石を多用した[8]

なお、1940年代後半に、一部で補強のための改装が施されており、また、建設当時は銅板葺であった屋根も、1950年代はじめに鉄板葺に変更されている[8]
校地移転後

西池袋の敷地が狭くなったことから、1925年(大正14)頃より学園の移転計画を開始。北多摩群久留米村南沢(現東久留米市学園町)に10万坪の土地を購入。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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