「ドイツ労働総同盟」とは異なります。
自由ドイツ労働総同盟
(FDGB)
Freier Deutscher Gewerkschaftsbund
設立年月日1945年3月18日
解散年月日1990年
後継組織ドイツ労働総同盟
組織形態ナショナルセンター (労働組合)
加盟団体数16産業別労働組合(1983年)
組合員数約910万人(1983年)
本部所在地 東ドイツ・東ベルリン
加盟組織世界労働組合連盟
支持政党ドイツ社会主義統一党
自由ドイツ労働総同盟(じゆうどいつろうどうそうどうめい ドイツ語: Freier Deutscher Gewerkschaftsbund、略称:FDGB エフデーゲーベー)は、かつてのドイツ民主共和国(東ドイツ)唯一の労働組合中央組織(ナショナルセンター)である[1]。 FDGBは1983年時点で16の組合を傘下に収め、組合員910万人、組織率97.2%を誇っていた[2]。東ドイツ憲法第44条では労働組合は自主独立組織と規定[3]されていたが、実際には東ドイツの支配政党・ドイツ社会主義統一党(SED)の支配下にあった。1975年から1989年まで会長を務めたハリー・ティッシュ
概要
このような組織であったため、名目上は経営側と賃金などの協議権を持っていたものの、東ドイツでは1960年代にストライキの権利が認められなくなっていたこともあって、労働者の側から経営者である国家(産業の大半が国有化されている社会主義国においては経営者は国である)に抵抗する術は無いに等しかった[6]。
一方FDGBは統一戦線組織である「国民戦線(ドイツ語版)」の一角として各地方議会や人民議会に議席を保有し、社会保険・健康保険等を担い、SEDの民兵組織である労働者階級戦闘団に人員を提供するなど、国家機関・立法機関の一角を担う存在でもあった[7]。また、労働者の余暇の担い手でもあり、多数のホテルや保養所などを保有していた[8]。
1990年、ドイツ再統一に伴って解散し、傘下の組合の多くは旧西ドイツ側のナショナルセンターであるドイツ労働総同盟(DGB)へ合流した。
FDGBの旗
FDGBの会員証
1988年までFDGBの本部として使用されていたビル
1988年から本部として使用された建物(現在は駐ドイツ中華人民共和国大使館(ドイツ語版)として使用されている)
脚注^ 自由ドイツ労働総同盟 じゆうドイツろうどうそうどうめい Freier Deutscher Gewerkschaftsbund ドイツ語 日本大百科全書
^ 仲井斌 1983, p. 221.
^ ⇒東ドイツ憲法第44条(2) 労働組合は独立である。何人もその活動を制限したり妨げたりしてはならない。(Die Gewerkschaften sind unabhangig. Niemand darf sie in ihrer Tatigkeit einschranken oder behindern.)
^ 仲井斌 1983, p. 221-223.
^ 仲井斌 1983, p. 222-223.
^ 仲井斌 1983, p. 224.