自然科学(しぜんかがく、(英: natural science〔ナチュラルサイエンス〕, science〔サイエンス〕[1][2])または理学とは、自然に属しているあらゆる対象を取り扱い、その法則性を明らかにする学問[3]。『精選版 日本国語大辞典』において自然科学は、「狭義には自然現象そのものの法則を探求する数学、物理学、天文学、化学、生物学、地学〔地球科学〕など」を指し、広義にはそれらを実生活へ応用する「工学、農学、医学など」をも指し得る[4][注 1]。『大学事典』では「理学を構成する数学・物理学・化学・生物学・地学等」と書かれている[5]。
また、Dictionary.comの定義における自然科学とは、自然における観測可能な対象や過程に関する科学または知識であり、例えば生物学や物理学など[6]。この意味での自然科学は、数学や哲学のような「抽象的または理論的な諸科学」(the abstract or theoretical sciences)とは異なる[6]。 自然科学において取り扱う対象は、大きくは宇宙から小さくは素粒子の世界まで含まれる。生物やその生息環境も対象となっており、そこには生物としてのヒトも含んでいる。対照的に、人間が作り出した文化や社会──すなわち哲学、歴史、法律、政治、経済等々──に関しては、主に人文科学・社会科学・人文社会科学(cultural social science)[7]・自然社会科学(natural social science)[8]が扱っている。 この「自然科学」(ナチュラルサイエンス natural science)という用語と対比される用語は、近年の日本では一般に、 であることが多い。19世紀のヨーロッパにおいて諸科学が分化・独立した際に英語圏ではそのような呼び分けが生まれた。ただしドイツでは、対比・区分が若干異なり、ナトゥーアヴィッセンシャフト(自然科学・科学 Naturwissenschaft) は「文化科学 Kulturwissenschaft」や「精神科学 Geisteswissenschaft」と対比されることが多い[9]。日本でもドイツの影響を大きく受けていた時代には、こうしたドイツ式の対比で説明する科学者もかなりいたが、近年の日本では主として英語圏に倣った対比が行われている。「理学」、「理工学」、および「応用科学」も参照 自然科学の歴史は科学史の分野で研究対象とされている。自然科学を対象とする哲学的考察は認識論および科学哲学においてなされており、「科学基礎論」と呼ばれることもある。 何をもって自然科学の誕生と見なすか、という点については科学史の研究者ごとにそれなりに異なった見方がある。自然を対象とした学問としては、確かに古代ギリシア時代以来「自然学」があった[注 2]。またヨーロッパ中世にはスコラ学があり、「自由七科」という学問分類の内の「クアドリウム(四科)」には、天文学も含まれていた。ただし、科学史などでは、それらの学問の中に新たな方法論や傾向が芽生えたことを指摘することで、それらの学問と自然科学的方法論の対比をしたり、それをもって自然科学の初期の歴史の説明としていることが多い。 科学的方法の説明のしかたはいくつもあるが、実験と観察とされたり、分析と総合とされたり、仮説と実証とされたりする。 現在考えられているような自然科学(近代自然科学)の説明する場合、17世紀のヨーロッパの「自然科学者」(当時は自然哲学者、自然学者と呼ばれていた人々[注 3])の研究の一部が紹介されることが多い。説明する科学史家のバックグラウンドの違い(例えば物理学・化学・生物学などの違い)によって、どの手法をピックアップするのか、選択が異なったり重点の置き方が異なっている。物理系ではケプラー、ガリレイ、デカルト、ニュートン等などの手法の一部に言及することが多い[注 4]。 中世のイスラム科学であれ中世ラテン科学
概要
「社会科学」(ソーシャルサイエンス social science)
「人文科学」(カルチュラルサイエンス cultural science)または「人文学」(ヒューマニティーズ humanities)
自然科学の歴史と方法論
イブン・ハイサム
ロバート・グロステスト
フランシス・ベーコン
ガリレオ・ガリレイ
ヨハネス・ケプラー
ルネ・デカルト
アイザック・ニュートン