自然法論
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ウジェーヌ・ドラクロワ『民衆を導く自由の女神』(1830年ルーヴル美術館所蔵。自然法論とは、法的理念による現実の基礎付けあるいは現実との闘争である。

自然法論(しぜんほうろん、: natural law theory、: Naturrechtslehre)は、広義においては、自然法に関する法学政治学ないし倫理学上の諸学説の総称である。最広義においては、ギリシャ神話以来の、自然から何らかの規範を導き出そうとする考え方全般を意味するが、狭義においては、17世紀?18世紀における近世自然法論から、19世紀における実定法主義法実証主義)の台頭までの期間で論じられることが多い。
定義

自然法論とは、広義においては、自然法に関する法学、政治学ないし倫理学上の諸学説の総称である。最広義においては、ギリシャ神話以来の、自然から何らかの規範を導き出そうとする考え方全般を意味するが、狭義においては、17世紀?18世紀における近世自然法論から、19世紀における実定法主義法実証主義)の台頭までの期間で論じられることが多い。自然法論という用語が最広義で用いられるとき、すなわちそれが文明開闢以来の西欧学問の全時代をカバーするときには、論者の表現の中に自然法という言葉が直接的には使われていない場合がある。例えば、ミッタイスはホメロスヘシオドスの神話の中に自然法の原形を見出すが、ホメロスヘシオドス自然法という言い回しを知っていたわけではない。
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ヘラクレイトスヘラクレイトスは流転する宇宙の中にロゴスを見た。

最初期の自然法論に数え入れられるのは、古代ギリシャ宇宙論である。例えば、ヘラクレイトス宇宙論によれば、人間は、天体宇宙の法則によって運動しているように、宇宙の法則に従って生きるべきである[1]。このような考え方の下では、物理的な法則と倫理的な法則とが、同一の概念に属している。「天体がある法則に従って運動している」という事実と、「人間はある法則に従って生きるべきだ」という規範との区別には、何ら注意が払われていない[2]
プラトン

次第に、事実と規範とは異なるという意識が芽生え始める。そのような方向性は、まず、プラトンの中に見出される。プラトンは、自然本性から与えられる絶対的に正しいものと、具体的な時と場所において相対的に正しい人為的規則とを区別する[3]。前者は理念(イデア)、後者は現実となり、理念は現実が目指す永遠の目標となる。つまり、自然法とは「?である」という事実に関するものではなく、「?すべし」という事実の目標であるということが自覚されるに至った。

プラトンヘラクレイトス宇宙論から離れている点が、もうひとつある。それは、自然法は現実の中に内在しないということである。プラトン哲学においては、現実が目標とする理念は、イデアとして、この現実世界の中ではなく、イデア界という超越的な場所に存在すると想定された。それは、現実の中には観測されず、思考によってのみ到達可能な場所である。すなわち、プラトンが言う自然法とは、正しい思考の末に発見されるであって、現実の中において観測可能なものではない。
アリストテレス

これに対して、アリストテレスは、理念を現実の中に引き戻す[4]。理念は、現実の中に内在しており、個々の事物の中には、それぞれの事物の理想像が既に可能性として秘められている。このことは、プラトンアリストテレス国家論に重要な差異をもたらした[5]プラトンは、地上のどこにもない理想の国家を想定し、それを現実の国家の目標とした。これは、理念は現実世界の中に存在しないという彼の哲学からの必然的な帰結である。反対に、アリストテレスは、現実にある個々の国家制度を比較検討し、そこから国家の理想像を発見しようとする。彼にとって、国家の理想像は、現実の国家そのものの中に存在しているはずであった。
ストア派

ストア派にとって自然は一大関心事であり、そこではあらゆるものの価値がこの自然によって規定された[6]。ある生き物の自然(すなわちそれに相応しい構成と振る舞い)に合致するものは必然的に肯定的な価値を持ち、それに反するものは必然的に否定的な価値を持つ[7]
初期ストア派

ストア派の特徴は、世界と人間の連続性を自覚することである[8]ストア派の創始者であるキティオンのゼノンによれば、物事の目的とは自然本性の完成であるがゆえに、人間の自然本性とは何であるかが分かれば、人間の目的もまた明らかになるはずであった[8]。そして、人間の自然本性宇宙自然本性とは連続しており、宇宙自然本性とは法則性=必然性に他ならないから[9]、人間の目的とは、正しい推論(すなわち論理法則)に従って行動することである[10]義務は次のように定義される。「生における整合的なことで、それが実行されたときに合理的に説明されることである」。これとは反対のことは義務に反することである。これは、非ロゴス的な動物にも及ぶ。なぜなら、それらも、それ自身の自然本性と整合的な何らかの働きをしているからである。理性的な動物の場合は、次のように説明される。「生における整合的なこと」。 ? ストバイオス『抜粋集』第2巻7-8[11]

ゼノンの傑出した弟子であるクリュシッポスは、ディオゲネス・ラエルティオスの証言が正しいとすれば、古代ギリシャ以来のピュシスノモスとの区別を整理し、自然法を各国のより高次のものであると解した[12]。また正しくあることは自然本性によるのであって制定によるのではなく、それはや正しい推論の場合と同じである。


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