自動列車停止装置(じどうれっしゃていしそうち、ATS: Automatic Train Stop)は、日本の鉄道において、信号の現示及び線路の条件に応じ、自動的に列車を減速させる、又は停止させる装置[1]のうち、地上信号方式を採用するものをいう[2]。
この装置の前提となる「信号の現示」については閉塞 (鉄道)、信号保安、鉄道信号機および日本の鉄道信号で説明するものとし、本記事では地上と車両の間の伝達や車両の減速・停止動作に関わるシステムについて説明する。
なお「線路の条件」については2019年現在、「鉄道に関する技術上の基準を定める省令等の解釈基準」において、曲線・分岐・速度を制限している構造物区間・線路終端部・列車の停止を前提に作動する踏切・下り勾配と規定されている[3]。路線や車両の最高速度について同様の機能を持つものもあるが、こちらは法令上の定義には含まれない。 ATSの歴史は過去に発生した鉄道事故と、その教訓による改良の繰り返しの歴史とも言える[4]。 ATSの種類は、信号と連動して働く衝突防止のATSと、信号と独立して働く過速度に対するATSに大別される。また、運転上の取扱い方法についても、以下のように2つに分けることができる。
歴史
1921年(大正10年) : 東海道線汐留駅 - 品川駅間で磁気誘導式のATS試験。
その後、横浜線や福知山線でも別方式の試験が行われる。
1927年(昭和2年) : 東京地下鉄道(現在の東京メトロ銀座線)が、日本で初めてのATS実用運用路線として開業。打子式。
1941年(昭和16年) : 山陽線網干駅列車衝突事故。
この事故を契機に、東海道・山陽・鹿児島線で連続コード速度照査式ATSの設置工事を開始したが、空襲により爆撃を受け受信機が全損したため頓挫する。
また、戦後すぐに関門トンネルを挟む幡生駅 - 門司駅間9.8 kmを部分完成させ、車上装置を4両に搭載し試験を開始したが、GHQからの命令により中止となる。
1954年(昭和29年) : 山手線・京浜東北線でB形(軌道電流式)車内警報装置を使用開始。
その後、B形車内警報装置は東京・大阪の国電区間に設置される。
1956年(昭和31年) : 参宮線六軒事故。国鉄が全線に車内警報装置を設置決定するきっかけとなる。
1960年(昭和35年) : 12月4日、都営地下鉄1号線(現在の浅草線)開業。相互乗り入れの京成押上線とともに軌道電流式ATS(1号型ATS)を採用。
1962年(昭和37年) : 5月3日、三河島事故。国鉄が全線に設置中の車内警報装置に非常制動タイマーを付加して「自動列車停止装置 (ATS) 」とするきっかけとなる。
1964年(昭和39年) : 名古屋鉄道新名古屋駅構内で列車追突事故が発生。これを機に私鉄では初となる速度照査機能付ATSが翌1965年に設置される(後述)。
1966年(昭和41年)
ATCを導入済みの東海道新幹線を除く国鉄全線にATSが設置される。(三河島事故などの教訓から)
名鉄常滑線大江駅・京阪本線蒲生信号所・近鉄大阪線河内国分駅と、大手私鉄で立て続けに列車衝突事故が発生。
1967年(昭和42年)
前年の事故を受け、運輸省が大手私鉄などにATS設置を指示(昭和42年鉄運第11号通達)。
新宿駅構内米軍燃料輸送列車事故。国鉄はこの事故を契機に、場内信号直下にATS-S直下地上子を新設。
1968年(昭和43年) : 御茶ノ水駅追突事故。警報維持装置を設置しATS確認扱いを2段階化、ATS確認扱い後の注意喚起機能(確認ボタン押下後もチャイム音が鳴り続ける)を追加する。
1974年(昭和49年) : 関西本線でATS-Pを試験運用。多変周地上子式で現行とは異なる。
1984年(昭和59年)
山陽本線西明石駅列車脱線事故。これを機に、現在のATS-Pの原型であるトランスポンダを用いたH-ATS開発を決定。
1986年(昭和61年) : 山陽本線西明石駅ほか3駅にトランスポンダ式H-ATS(現在のATS-P)が設置される。
1988年(昭和63年)
12月1日 - トランスポンダ式の全面ATS-Pを京葉線で供用開始。関西線変周式ATS-Pは中断されており、H-ATS→ATS-P'と呼ばれていたのを正式にATS-Pとした。
12月5日 - 東中野駅列車追突事故。JR東日本がATS-P換装計画の拡大・前倒しを表明。運輸省が国電区間(ATS-B区間)など錯綜区間のATS-P換装を指導。
1989年(平成元年)
飯田線北殿駅列車正面衝突事故・阪和線天王寺駅列車衝突事故と、既存ATSの弱点を突いた事故が多発する。
JR東日本・JR東海が、JR各社の委嘱を受けたATS-S改良のATS-SN開発。全JRに即時停止地上子123 kHzを追加、警報直下地上子を換装。JR東海はさらに車上時素式速度照査108.5 kHzを開発、ATS-STと呼ぶ(1990年12月20日から使用開始[5])。ST仕様はJR東海以西のJRとJR貨物(車上装置)に普及。
1990年(平成2年)
JR東日本・JR西日本でATS-Pの整備を順次実施。
運輸省から中小鉄道事業者に対しATSの整備促進を指示。
1997年(平成9年) : 中央線大月駅スーパーあずさ衝突転覆事故。ATS電源のハンドル投入式改造中に未改造車の誤出発を止められず
2000年(平成12年)
JR東日本がATS-Psを開発[6]。
京福電気鉄道越前本線列車衝突事故。京福電気鉄道は翌2001年にも列車衝突事故を起こす。
2002年(平成14年) : 国土交通省から中小事業者に対し補助金を交付してATSの整備を指示。
2005年(平成17年)
土佐くろしお鉄道宿毛駅衝突事故。この事故を受け、国土交通省は終端防護用ATSの緊急整備を指示。
JR福知山線脱線事故。この事故を受け、国土交通省は曲線等速度超過防止用ATSの緊急整備を指示。
2006年(平成18年)
3月:国交省令鉄道技術基準改定。安全設備設置選択を各鉄道事業者自身の責任で行うことを明記し、不設置理由として「行政指導がなかった」とは言わせない規定に改め、基準も機能規定化を図った。
6月 : JR東海がATS-STをすべて安全性の高い停止位置基準車上演算型ATS (ATS-PT) へ換装することを発表。保安コードはJR7社共通仕様とし、福知山線脱線事故を機に、JR西日本特認コードだった車種別の「本則+α加算」や、新設の「路線最高速度」などを7社共通コードに採用するなど補強を行い、数年で換装を完了した。
ATSの動作・構造
停止信号に近づいたときに警報を発し、乗務員が警報に応じた所定の取扱をしない場合に列車のブレーキを動作させる装置。(国鉄B型・S型)[注 1]
乗務員が信号に従った運転取扱いを行っている場合はその運転に介入せず、乗務員の(体調不良、錯誤、故意など理由を問わず)異常な取扱いが行われた場合にだけ介入して列車のブレーキを動作させる安全装置。