臨海副都心
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船から見た台場地区

東京臨海副都心(とうきょうりんかいふくとしん)とは、東京都が策定した7番目の副都心であり、複数の特別区に跨がる442ヘクタールのエリアである。

東京港埋立地10号地に属する江東区有明と、同埋立地13号地に属する港区台場・江東区青海品川区東八潮からなる。全域が埋立地であり、東京都都市整備局東京都港湾局が主に計画管理している。

公式愛称は「レインボータウン」であるが、かつて都知事だった石原慎太郎が臨海副都心全体を指して「お台場」と呼んだことから、マスコミ官公庁がそれにならうことがある[注 1]都市景観100選受賞地区。
目次

1 地区

2 概要

2.1 東京2020大会に関連した今後の予定


3 歴史・今後の予定

3.1 第一期

3.2 第二期

3.3 第三期

3.4 第四期

3.5 台場地区

3.6 青海地区

3.7 有明北地区

3.8 有明南地区


4 その他

4.1 暫定施設の閉鎖

4.2 赤字と借金

4.3 ヒートアイランド


5 臨海副都心を舞台とした作品

6 交通・地理

6.1 鉄道

6.2 バス路線

6.3 高速道路

6.4 水上バス


7 脚注

7.1 注釈

7.2 出典


8 関連項目

9 外部リンク

地区

主に、以下の4地区に分かれて計画・開発が行われている。

台場地区 (だいばちく、港区台場一・二丁目) - 通称お台場

青海地区 (あおみちく、江東区青海一?四丁目及び品川区東八潮)

有明北地区 (ありあけきたちく、江東区有明一・二丁目)

有明南地区 (ありあけみなみちく、江東区有明三・四丁目)

概要

江戸時代末期に黒船対策として造った大砲台場の建設が、この地区の埋め立ての始まりである。1940年(昭和15年)の東京港開港以来、本格的な突堤建設や埋め立てが始まった。船の科学館と隣接地で1978年(昭和53年)から前期・後期およそ1年間開催された宇宙科学博覧会(宇宙博)では、1,100万人を超える来場者を集めた。この頃は一帯すべてが建設予定地であり、建物は船の科学館と海運企業の倉庫・コンテナ置き場・材木業者の作業場と事務所くらいしかなかった。

1979年(昭和54年)に、都知事に鈴木俊一が就任すると、臨海副都心開発の検討が始まった。1979年(昭和54年)のマイタウン構想懇談会、1982年(昭和57年)の「東京都長期計画」、1985年(昭和60年)の「東京テレポート構想」、1986年(昭和61年)の「第二次東京都長期計画」である。

臨海副都心の建設はバブル景気絶頂期の1989年から始まり[1]、建設期間は3期[2]27年である。臨海副都心はオフィス街として開発される予定であったため、東京都は企業誘致を積極的に行った。しかし、バブル崩壊で企業進出のキャンセルが相次ぎ、開発計画の見直しを迫られることになった。

1995年(平成7年)、都知事に青島幸男が就任。計画第二期が始まる1996年(平成8年)3月からは、臨海副都心の大掛かりなスタートデモンストレーションも兼ねて「世界都市博覧会」の開催が予定されていた。しかし青島都知事は、臨海副都心開発見直しを掲げ、世界都市博覧会を中止した。だが開発計画自体は止めなかった。

1999年(平成11年)、都知事に石原慎太郎が就任。開発事業を推進する方向で動いた。このころになると、ようやく建築物も増え始め、かつての鈴木都知事の後押し[3]で本社屋を当地に移転したフジテレビが牽引役となり、地元の活性化運動もあって大規模イベント会場の誘致が進んだ。


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